2017年11月5日日曜日

君たちはどう生きるかーー吉野源三郎の世界ーー

多分、まだ実家で暮らしていた20代の頃、ラジオの「本の朗読」で、この本をところどころ聞いていたように思います。

吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」。児童文学ですが、今この本を漫画化したものがよく売れているそうです。
「世界一受けたい授業」というテレビ番組の受け売りですが。

図書館で借りて、今日は少し時間があったので、半分まで読んでみました。
ラジオで聞いていた時は、聞かなかった部分もあったように思ったのです。
積極的に読もうともしなかったように思います。

この人を、私が目指す人生の見本の一人にしたいなあと、今は思います。
編集者であり、言論の不自由な時代に、自分も逮捕されながらも、児童文学にその表現方法を変えて書物を残した人です。

心に残る言葉や考え方がたくさんありました。

例えば、

「もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれがりっぱなこととして通っているからといって、ただそれだけで、言われた通りに行動し、教えられた通りに生きていこうとするならば、ーーコペルくん、いいか、それじゃあ、君はいつまでたっても、一人前の人間にはなれないんだ。子どものうちはそれでいい。しかし、もう君の年になると、それだけじゃあだめなんだ。肝心なことは、世間の目よりもなによりも、君自身がまず、人間の立派さがどこらにあるか、それを本当に君のたましいで知ることだ。そうして、心の底から、りっぱな人間になりたいという気持ちを起こすことだ。いいことをいいことだとし、悪いことを悪いことだとし、一つ一つ判断をしていくときにも、また、君がいいと判断したことをやってくときにも、いつでも、君の胸からわき出てくる、いきいきとした感情につらぬかれていなくてはいけない。北見君の口ぐせじゃあないが、だれがなんていったってーーというくらいな、心の張りがなければならないんだ」
                【吉野源三郎 君たちはどう生きるか ポプラ社】

すごくわかりやすい表現で書いてありますが、このことを私がようやく分かって言ったのはつい最近のことで、このような意味のものは、今学んでいる「霊的真理」の習い始めの時に、師から念入りに言われたことと共通することでした。

ものの心理というものは、表現や切り込み方の違いあっても、ねっこは同じなのだと、そのことも感じています。

物事を心で理解するということは本当に私にとって難しく、とても時間のかかることです。
自分の意思を持って生きていくというのは、知識を得て物知りになるのではなく、正しいか間違っているかという物差しを探すことでもなく、自分の中に生きていく価値を見出すことなんだと思います。そして自分で、生きる目的にたどり着くことなのではないかと思います。
それを少し理解できるようになったのが、本当にここ最近のことでした。

この本は、もうとっくに子どもの年ではなくなった私にとって、今だから理解できる本なのかも知れません。多分もっと早い時期に読んでいても、「そうだそうだ、わたしはわかっている、こんなことわかっている」と思い、深く考えることもなくスルーしていたかも知れません。
そして、子どもの本だからと、分かった気になっていたかも知れないのです。

それから、今読んで思ったことは、主人公の気持ちで読むのではなく、おじさんの側に立って読んでいたということでした。
もし、私だったら、若い人たちからコペル君のような疑問を投げかけられた時、どう答えるのか、私は今どのような大人なのか、そんなことで頭の片方をいっぱいにしながら、読み進んでいる自分がいます。

この本の一つ一つの言葉が身にしみるので、古本を探して手元に置こうと思っています。

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