2017年11月4日土曜日

井戸の中から

どうも私は、自分の中に想像しなかったことを、何の脈絡もなく聞かれると、気持ちが揺らぎます。

何故なんだろう、と、少し考えてみました。

心の揺らぎというのは、心地悪さということ。

例えば、
「○○のイベントは行くんですか?」
「インフルエンザの予防接種は打ったんですか?」

このような何気ない会話に、心が過剰に反応する時があるのです。

相手の方は、何気なく聞いていたりするのに、

「いかないことを責められている」
「まだ打っていないことを責められている」

と感じてしまう自分が、確実にいます。

なぜなのでしょう。

もしかしたら、イベントに行かないと決めている自分自身を、心の中で責めているのかもしれません。
予防接種にまだ行こうとしない自分を、怠けてると思っている心が隠れているのかもしれません。

その部分が過剰に反応してしまって、ものすごい勢いで言い訳を始めたり、責められた気分になって嫌な気分になってしまったり。

そんなような話題をふってくれた相手の方に、何故突然その話題なのでしょう、と、ある日伺ってみました。
そんなこと、あまり聞かないのでしょうが、私はあまり空気が読めていないので(汗)

そうしたら、その方もとても気にしていたことなのですって。

ああ、そうですね。私も、気になったことは、すぐ口に出ます。
私もこうやって、目の前の人と、話をしていたように思います。

突然、何の脈絡もなく、私の場合はきっと、独り言のように、しゃべっていたかも知れません。そういう時って、話しかけられた人は、戸惑ったでしょうね。

今、私が時々戸惑うようなことを、私も人に対して、知らず知らずにやってきたんだなと思いました。

そして、その時々で、私に話しかけられたみなさんは、根気よく話を合わせてくれたり、話を興味深く聞いてくれたり、そこから話題を広げてくれたりしました。

私も自分の悪い癖を心で発動することをやめて、聞く耳を持つことが必要ですね。

責められた気になってしまうのは、自分の心の反応に気持ちがいってしまうということなのかも知れません。

自分の思惑通りのこともあるかも知れないけれど、だからどうだというのでしょう。
何でもないことです。
人にどう思われても、いいんです。行動していないことを仮に責められたとしても。
それに対して、私が過度にネガティブになる必要はありません。

それよりも、私がやらなければいけないことは、聞く耳をもち、会話を楽しみ、そこから世界を過去し広げて考えること。そこなんだと思います。

毎日少しずつ、井の中から出る努力をするということですね、きっと。

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