2020年2月24日月曜日

自分の撒いた、たねから刈っていく

一月に、気になっていたもうひとつのことは、イランとアメリカのことです。
(前々回の森林火災のことという記事の、なんとなく続きです。)

アメリカ合衆国がイランのソレイマニ司令官を殺害したというニュースは、なぜそれが起こったのかとても不安になり、気になったことでした。
その後旅客機が追撃されてしまい、二つの国がどうなっていくのか、連日考えるようになりました。

ヒーリングサロンでそのことに意識を集中した時に、自分の過去のことで分かったことは、
(ここからは話が飛びます。)

古い時代、私の過去生でマケドニアの兵士だった時があること。そこで戦争に行くことになったのですが、なんらかのことで家族(妻と娘?)が殺されていて、このときは深い恨みと怒りを持ったまま生涯を終わっています。
(私の中に浮かんできたイメージの世界なので、こういう話に抵抗がある方にはごめんなさい。)

歴史が超苦手な私は、マケドニアという、昔の時代の国名が思い浮かばずに、今の国の名前であるギリシャという言葉しか思い浮かびませんでした。
自分の持っている知識でしか理解できないということは、こういう事態なんだと思いました。

上官の命令ではありましたが、その時代にマケドニアの兵士だった私は、ペルシャ帝国に攻め入る一人となり、多くの人を殺めました。そこをこの回は癒していくことになったのです。

ちなみに、その後の時代のイランでも人生を送っていたようです。そのときはエセ商人になり、市民を騙しながら暮らしていました。
(私の遺してきたものは本当に重いです。知れば知るほど、どうしたらいいか一瞬は今でも怯みます)

今回も感じましたが、何か社会的な事件や出来事が気になった時、やはり自分の過去の行いを振り返る必要があるのだと思い知りました。

今生だけが自分の人生で、肉体が無くなったらそれで終わりと考えているうちは、まだ何も知らないということなので、過去生なんて信じなくても、ましてやどんな生き方をしていたかなどと知らなくてもいいことなのでしょう。
知らなくても許されているというか、思い出さないことは恩恵と教えていただきましたが、本当にそうなんだと思います。

物事は、あるものはいつもそこにあって、真実はいつも真実であるのだと思います。
ただものの見方は人それぞれ違いますから、一人一人真実と言うものの捉え方に差があるのも確かなんだと思います。

私の経験でいえば、過去生の体験を本当に大きな勘違いをして記憶していたということがあります。

その話はまたの機会に書くことにして、あまりごちゃごちゃ書くといっそうわかりにくくなるので、本筋に戻ります。
私が、世界や日本で起こる出来事で気になることがあるときは、やはり自分の過去の人生で遺してきたものについて修正する、機会が与えられたのでと思った方がいいようです。

ネガティブな思いもポジティブな思いも、人は生きている限り、記録としてエレメンタル(想念のようなもの)を残しながら生きているそうです。
一度作ったエレメンタルは無くなることはなく、同じ波長を持つ人に影響を与える存在としてあり続けるといいます。
そのときそのとき思った想念を作った者として、いつも世界に対してなんらかの責任はあるのだと思います。

私は多くの悪いものを撒いてきてしまったと知っているので、それをみないフリはもうできないのです。
それでもそのことを棚に上げていい人でいようとしてしまいます。
やり方もわからないのに、何かいいことをしてあげたいとすぐに思ってしまうのです。
そういう偽善的な考え方が、何度とない人生で自分の身を汚してきたというのに、人間というものはなかなか変われないものなんだなあと思います。

霊的真理の勉強の世界に入ったことは、私のそういう弱いところの大手術のためかも知れないと、こういう振り返りの機会が与えられるたびに思うのです。

少し大げさな話になってしまいました。

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 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...