前回、そのにまで書いてみて、気がついたことがありました。
ああそうだった、
今回は、自分は誰かとか、そういうことを考える前に、
自分の性格を見直すことが先決だったと。
なぜ毎回のじんせいで、いつもいつもエゴイズムにまみれてしまったのか、
どんなことに自分の性格の修正すべきことがあるのか、
今回の人生の時間ではそれを最優先に考えて、自分の意識を変えていくことが必要なのだと。
そう。もう一つの性格。
私はいつも、何者かになりたがるのです。
誰かの声に依存し、誰かの理想に思いを馳せ、自分の中に虚像を作り、安易にそれになりたがる。何も考えないで。
私が私であるということを、みないで生きようとするのです。
多分、その方が楽だから。
自分を知るという作業は、難しく根気がいることだもの。
そこを知ろうとしないで、地道な努力を怠ったまま、
自分は誰だろうなんて、一体誰になりたかったのでしょう。
私は私でしかないのだから、
多くのかこせいをもって、今は自分の道を歩くだけ。それだけできればいいのかもしれません。
エゴイズムを手放せる心を育みたい。
今度生まれてくるときには、せめて人として、日々の出来事を普通に喜べる心を持って生まれたい、かなしみをかなしむ心を持って生まれたい。
それだけ先ずは目指そうと思います。