2018年5月1日火曜日

四月のまとめ

春が足早に花開いた今年の四月は、友人と会い、ちいさな挑戦をし、静かですが動きのある月でした。

感じたことを感じたこととして心に残し、考えるという流れを実感しました。
まだまだ自分の感情に流され、周りが見えなくなりがちですが、意識するのと全く意識しないのとは違うと思えました。

ヒノキの花粉症がひどくて、体調管理に手を焼きました。
毎週行っているプールのスクールが4月はまるまるお休みなので、そのぶん体調を整えるのは毎年難しい月です。
そのぶん友人に連絡を取り、時間をもらって一緒の時を過ごせました。

自分の心には未だ幼稚な部分が多く、思うように物事を動かしたくなってしまうようです。
日々の端々にそんな自分を発見しました。
また、他者の強さに圧倒されて、媚を売ろうとする癖も改めて発見しました。

一人一人に起きることはそれぞれであることから、本当に自分の人生は個人レッスンだということを実感しました。自分の人生から逃げないで生きようと思えました。

日々自分でやると決めたことは行なっていましたが、どうしても、働いていないイコール何もやっていないという自己評価になってしまいがちでした。
つまり、人の評価を求めていたんだと思います。もっとできることがあるのではないか、何もやっていないのではないかという思いは、何もしていないと周りに見られているのではないかという思いでした。

誰も見ていないようでも、認められていなくても、自分の人生でやろうと思ったことはきっちりやり、見返りを求めないということは、私自身にとって精神的な訓練になるんだなあとは思いました。でも、どうしてもどこかで誰かに褒められることを求めてしまっているようです。

このくせは、自分を特別に思いたい、できる人と思われたいという考えの名残なのかもしれません。

4月に受けたヒーリングの個人セッションで、教わったことがありました。
行動を制限されているということの意味です。

たくさんの過去生の中で、私は何も考えないまま行動に走り、たくさんの罪になりました。今回行動を制限されたのは、感じて考えることを優先させるという意味がありました。
最近、関連して気がついたことがあります。
たとえ、今の体でできることであっても、自分本位に動いてはいけない。
相手の立場を思い、今その人のことを思ってできることを考えて行う必要があるということです。
そういう目線は、自分を認めて欲しい、見て欲しいという自分中心の目線を止めることであり、自分の置かれている状況に対しての愛情表現をすることでもあります。
自分を忘れ、周りにできることをするということは、私自身のあり方を表現することでもあるのです。
それが私にできる生き方なのではないかと、思いつきました。

私が今できることを大事にして、自分が自分を認められるようになれればと思います。

今日読んだ本に、
自分を信じることと、自分を正しいと思うことは違う。自分を正しいと思ってしまうと、その正しさを人に押し付けてしまう。
という意味の言葉がありました。

私は自分が正しいと思って生きてきたところがあるので、人にその想いを伝え続けていた頃がありました。
私に今必要なのは、信じることなんだと思いました。人がどう評価するかではなく、自分を成長できる人間だということを信じて生きることが大切なんだと思いました。


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