2018年4月26日木曜日

車椅子が壊れてから直るまで考えたこと

私の電動車椅子は、年に一度、タイヤとバッテリーを交換します。
前輪も後輪も、一年で溝がなくなって、危険になるのです。

今乗っている、愛車になってまだ一年のカレも例外ではありませんでした。今まで乗った中で消耗が激しい方で、勾配のきつい坂は前輪が滑るようになってしまい、さすがに危なくてメンテナンスしてもらいました。

綺麗になったばかりのカレ、なぜか、すぐに壊れました。
電動のブレーキが効かなくなったのでした。それも突然。
家の近くだったことが幸いでしたが、電動車椅子が手動のように、簡単に押せるようになってしまったのです。

何があってもなんとかなる、という根拠のない自信は、こういうことがあると打ち砕かれます。
電気が通らなくなって、ブレーキも効かなくなった電動車椅子は、ただの重たい車椅子でしかなくなりました。

幸いなことに介助の方がいてくれて、玄関に入れてくださったので、ことなきを得ました。

普段、まるで自分で動いているかのように、電動であちこち行けているけれど、電気が通じなくなると本当に自分では何もできなかったということを思い知ります。

車の運転の時も、バイクも自転車も、故障するとこんな感じなのかしら。
少し違うかな。自分の足で歩けるということは。

自分の足で歩くということは、大きなことなのかも知れません。意識的にも、無意識だとしても、目的地まで体一つで行けてしまうのだから。

できないということは、たとえ機械や何かを使ってできるようになっているとしても、100パーセント自分でできるようになったということではないと、どこかで忘れないようにして生きることが必要かな、と思いました。

もちろん、器具等を問題なく使って、できなくなったことをできるように努力をして生きている方ははたくさんいらっしゃると思いますが。

できないからやらない、ということではなくて、できない状況をできるように変えて、生きていくことができているということです(ややこしい)
そこを感謝したいなって。


車椅子のブレーキは、数日後、いつもお世話になっている車いすやさんが、その日のうちに直してくれました。
小さな部品が一つはずれたそうです、

すぐに直って良かったな。ほんとうに。




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