2014年11月16日日曜日

海の思い出

障がい者ダイビングのインストラクターKさんは、ダイバーの経験者である、障がい当事者の先輩が紹介して下さった。
当時、あるところでオープンウォーターの講習を受けていたのだけれども、あまりにも海が怖くて、うまくいっていなかった。なので、経験豊富なその方に相談したのだった。

Kさんはとても気を長くして、私と付き合って下さった。
当時板橋の蓮根にダイバー用のプールがあり、一ヶ月に一度そこで私はトレーニングを受けた。
レギュレーターでの呼吸が、レッスンの大部分だった。

私は本当に水が苦手だった。
なので別の知人が同時期に水泳のスクールを教えて下さった。

私は月3回水泳で水慣れしながら、月1のダイビングレッスンを受けた。

それでも毎回毎回、インストラクターには迷惑をかけた。

彼は決して
「怖いのになぜやりたいのか」
と言う質問はしなかった。
「怖くても、どんな気持ちでも、やりたいなら付き合う」
と言って下さった。

レギュレーターでの呼吸が出来るようになり、マスクをはずして水の中で呼吸が出来るようになった時期に、蓮根のプールが閉鎖になり、私たちは伊豆でレッスンを続けることになった。

土肥でのレッスンは、プールもあったけれど、海の方が多かったように思う。
彼はいつもていねいに、私を海に入れて下さった。
決していきなり潜らせず、出来るようになってから、慎重に次の課題を提示して下さった。

土肥の海を、顔だけ水中に埋めて、ゆっくり観るのが私は大好きだった。
怒られてしまうと思うけれど、潜らなくても、本当はそれだけでよかった。

初めてちゃんと潜水できたのはセブ島の海。
15分間のひとときだった。
セブの海はとても穏やかで、マスクも揺れることはなかった。
顔中にかかる水圧がとても気持ちよかった。

一番長く潜ることが出来たのは、沖縄だったと思う。
30分。
インストラクターが沖縄に越したあと、なんどかお世話になったレッスンのなかで、一度だけものすごくうまくいったことがあったのだった。

潜れたという実感までは持てなかったけれど、水中での写真を観るたびに、潜れたんだなあと感じる。

残念ながらカードが取れるまで出来なかったけれど、
「やりたいなら付き合う」
と毎回のように伝えて下さって、少しでも出来たところを見つけてほめて下さったり、私がつまづいたところを理論的に考えて整理して下さったことを、私はとても感謝している。
Kさんと出会わなかったら、海はただ怖いだけの場所にしかならなかった。
少しでもスキルを高められたことを、忘れないでいようと思っている。

思い出がたくさん、たくさんある。
このすべてを下さったKさん、ありがとうございました。

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