杖を使った女性と、ホームで一緒になりました。
ひとつひとつ、まわりと何かしらやりとりをしながら、同じ電車に乗って乗換駅までいったのですが。
そのやりとりひとつひとつ、まわりが引いてしまうようなことなのです。
本人はそんなつもりはないのですが、嫌みにきこえてしまい、攻撃的に聞こえてしまい、ひねくれて聞こえてしまうのです。
結果的に譲っていただいた席を断り、結果的にまわりを憤慨させながら電車を降りていきました。
なんだか、以前の私を見たような気がしました。
「あんな風な断り方をしたら、勇気を出して譲ってくれた人の心を傷つけてしまう」
知人の言葉に、私も多くの人にそんな思いをさせてきたのかも知れないと感じたのです。
女性は、自分なりの自己主張で、周りの人とコミュニケーションをとりながら行動しているのでしょう。
体をコントロールしながら動くのに精いっぱいなのです。
そして、自分の辛さは他人にはわからないだろうと思っているのかも知れません。
車いすの私を見て、駅員さんにきちんと対応されていることも、不公平に感じたかも知れません。
「以前の私に似ているから、なぜあんな風になってしまうのかわかる気がする」
私の言葉に、知人は複雑な顔をしていました。
でも、きっと、私は怖い目をして、世の中を斜に見て渡っていたような気がするのです。
そして、自分ではまったく自覚なく、何かを吐きながら生きてきたように思うのです。
今は、どうなんだろう
でもまだ時折、自分の気持ちの動き方に違和感を感じることはあります……。