例えば福祉制度が変化すること。
福祉の科目も苦手です。私にとって福祉は学問で学ぶものではなくて、生活そのものだから。
福祉に対しては、私はその制度を受ける立場からしか物事を見られない気がしています。
客観的に見直すことができません。
苦手なものの中に、記録をつけるというものがあります。
介助の方が入った時に、どんなことをやったのかをつけるものです。
この記録のつけかたは、派遣事業所によって書式が異なります。
この記録が、私の最近までの超えられないことでした。
私の生活の内容を、他者が毎日つけること自体に、違和感のようなものを感じていたのです。
最近は一段と記録が厳しくなっていっているようで、それが悩みの種だったりしていました。
ここ数年、意見を言ってみたり、話し合いに行ってみたりしたこともありましたが、最近になって思い出したように、記録についての感情を思い出す出来事があり、考えてみました。
なぜ苦手なんだろう。
記録を他者に取られることで、こんなに気分を害してしまうのは、なぜなんだろう。
多分、介助の制度を活用している人がみんな、この記録のことについて受け入れているのに、なぜ私はいつまでも気持ちよく受け入れることができないのだろう、と、できる限り冷静に考えてみました。
今の段階だと、真面目に真面目に受け入れようと思っていたことが、方向性を間違えていたとわかりました。
物事はラフに考えた方がいい場合がある、ということてす。
受け入れたくないことは、無理して受け入れようと思わなくてもいいようです。
先方と価値観があまりにも違っていて、こちらが合わせなくてはいけない時、つまり話し合いが難しい時は、相手の価値観に乗ってしまうのも手なのかもしれないと思いました。
私自身が変わるわけではないし。
相手がたも、私の考えを知りたいわけではないでしょうし、
相手の価値観を知るということは、こうやって受け流すことも含むのかも知れません。今まで私は、相手の価値観を知りたいと言っておきながら、自分の価値観を押し付けたり、自分の正しさを主張するばかりだったのだと思います。
いい気持ちはしない、ということは伝えてみて、終わりにいたしました。
私も、相手がたも、意見はすれ違うだけだとわかったところもありました。
思えば同じような出来事が今回で3回目。繰り返し起こることは、何か私の中で落ち着く所を探さなければならなかったということです。少し視点を変えての着地でした。でも着地できてよかったと思いました。