定期的にお世話になっている medicine wheel で、何度目かのチャクラヒーリングに取り組み始めました。
このサロンで開催していた霊的真理とスビリチュアルリズムのグループレッスンに、昨年まで通わせていただいたご縁で、今も定期的に勉強を続けさせていただいています。
このブログでも時たまそのことに触れてはいますが、とつぜん突拍子も無いことを書くので、わかりにくい説明だったかもしれません。
私は、このサロンでは、主に人間関係の見直しや、想いの整理、自分の性格の見直しを、自分の体を通して感じた情報を元に行わせていただいています。
今まで教えていただいた知識などは、スクールに所属していた時にいただいたテキストや、自分で見繕った本をもとに復習している場合が多く、質問があるときにこの時間に伺うようにしています。
(基本的なことを改めて伺うことが多く、師にはご迷惑をかけています汗)
今回のチャクラヒーリングはは第一チャクラでした。
トータルでチャクラヒーリングを受ける場合は、ほとんどの場合第一から始めます。
第一チャクラは、生殖器の位置にあり、イメージの色は赤、元素は土と言われます。
今回は家族のことについて改めて感じ、考える時間になりました。
多くを書くことは控えますが、感じたことは、家族一人一人の目線から昔を振り返ると、その時は気づかなかったことが見えてくること、時にそれは深い後悔として私の心に記憶されるということです。
私は実年齢よりもいつもあまりにも幼く、周りが理解できず、いつも自分の本能の中にいました。そのことでわからなかったことを50代になった今振り返る機会をもらって、一人一人が古い記憶のあの頃どんな思いを抱いて生きていたのかを感じています。
鈍感なことは罪だ、と誰かは言いましたが、本当にそうだと思います。
ただ言えることは、私は40代からヒーリングの手法を習ったことで、実際の関係性の中ではあまりできることが見つからなくても、手法を使ってさせてもらえることがまだ残っているということです。
私自身がその頃を振り返り、自分なりに正確に物事を見ようとすることで、できることは見つけられる、そんなふうに考えられるようになったひとときでした。
霊的真理の世界やスピリチュアルリズムの世界は、深く学ぼうとするとどうしても自分の嫌な部分、受け入れ難い部分と対話することになってしまうので、逃げたくなることも多々ありますが、このようなセッションの時間が得られるたびに、やはり続けていこうと思えるのです。
どんな世界でも、極めるためには地味で地道な毎日をひとつひとつこなしていくことが重要になります。誰もいきなりなんでもわかるようにはならないし、万能に悟れる魔法なんてありません。
そしてそれは、誰に認められようとかそういう浅はかさを捨てて、できないことを自覚し、先を行く師へ教えを請い、謙虚に自分と向かい合おうとする姿勢を忘れないように生きることから始まり、続けようとする意志から続けられることだと実感しています。
この時間をまたもてたことに、やはり感謝したいと思います。
家族の様々な想いにふれ、できる限りのことをした後、そこに残っていた私のネガティブな想いの残骸もすてました。それは枯れた樹木の根のようでした。
いろんなものを手放した後、大きく開いた穴には、愛のエネルギーと果実のなる木を植えました。
私の家族の心が空腹になった時、いつでも木の実が食べられるように願いながら。ちょうど時期的にとても美味しい、ネクタリンにしてみました。
家族だから、第一チャクラでつながっているから、できることがあるのよ。
師は静かに教えてくれました。