2018年12月25日火曜日

映画ざんまい

ここ一ヶ月で見た映画。少し書いてみようと思います。映画の解説はウィキ等で手抜きいたします。(いつものことですみません。各題名がその映画のリンク先になっています。)

「ジョニーは戦場に行った」 


この映画を見て、古い知人を思い出しました。見続けることはきつかったです。こうして心の声がいつも聞こえたならら、もっと人は人を大事にできるのだろうかと考えながらみました。。私はこんなふうに今の人生でも、心のどこかで、人を塊のように考えていた頃があったかもしれないとも思いました。。相手の優しさに甘えて、わかっているかのように、我が物顔のように。
意思疎通ができても、人を人として扱えないのは、人の弱さなのかも知れないとも感じ、その弱さに気づくことが大切なんだと思いました。

羅生門


三者三様で言うことが違って、それぞれが自分をいい人に見せたり、同情を誘ったりして、自分を守ると言うことを見せてくれる映画でした。死んだ人さえも自分中心の発言をするところは、本質を突いていると言うか、人間は死んでも人間でしかないと言うことを描いているように思いました。
最後、お坊さんが一瞬人を疑い、反省するところに人間味を感じました。三船敏郎が気持ち悪かったです。とても野生的で、本能的で、エネルギッシュでした。



ジェルソミーナの悲しみや、迷いが、心にしみました。相手を責めず、でも自分の心を感じ、最後は自分に相手の罪と自分の罪を引き受けたように思いました。。自分が正しいと思うことはとても危険で、そばにいる人を本当に傷つけるんだと感じました。


「アデルの恋の物語」 

愛と勘違いした思い込みは、 他人も人も傷つける。
相手が自分のことを好きだと、どこで思い込んでしまうのか。
人としての親切心、少しの思いやりを、自分への思いやりと勘違いしてしまうのはなぜか。
自分の考える癖から思い起こすと、
他者を見ることのできない人間は、自分の本当の姿も見えないままなのではないか。等身大の自分をあるがままに受け入れる心は、自然にみにつくものではなく、気づきによって磨かれる美徳なのかも知れない。
アデルはとても本能的で、相手の立場に最後までたてなくて、欲しい愛を得られずに身を崩していく。
たとえ苦しくても、相手の気持ちを想像する経験をしないと、人は永遠に救われないのかも知れない。アデルは最後までそのことに気がちくことはなかった。父のユーゴーは、もしかしたらもっと娘と向き合う時間があったのにやらなかったのではないかと思う。


「タクシードライバー」 


すごく 自分の正しさを誇張して、貫いていくような威圧されたような印象のある映画でした。
アメリカだから「正義を通した」という言葉で収まったように感じました。銃規制のある国ではそうはいかないだろうと思いました。私の今の感覚ではあり得ないのですが。。。
自己の正義が暴走することはこわく、善悪の価値観が人によってまちまちであることに危機感を感じました。



「コレクター」


共感することのできない心は、ひたすら自分は他人に完全に理解されることを望み、自分は相手との相違点ばかり見つけて違うと怒りだけを増幅させるものなのだと感じました。
決して自分から相手に合わせようとはせず、なので相手からも何も受け取れないので、関係性は作れないのだと。
人とひとは、お互いに、理解しようと思って初めて、関係ができていくのであって、一足飛びにもいかないし、一方通行でもできないのだと思いました。

主人公の気持ちは、相手の女性が亡くなっても、おもちゃをなくしたような悲しみしかなく、まるでものを取り替えるように他の女性を次のターゲットにしました。愛がわからない状態とは悪魔的で、そこを抜けるには、下手でも他者の気持ちを知ろうとし、等身大の自分を理解していくことだと感じました。

監禁された相手の女性の健気さが悲しかったです。


「十二人の怒れる男」 


最初11対1で有罪だったのに、最後は…。理論的に考えていくと物事の真実が見えてくるのだということと、人は先入観で物事の善悪を決めているということ、そして、思い込みはなかなか修正することが困難だけれど、真実には弱いということを見せてくれたように感じました。感情でものごとを判断してはいけないと思いました。取り返しのつかない判断をすることがあると思いました。


砂の器


加藤剛が出ている1974年制作のもの。
情緒が伝わって来て、差別に切り込み、親子の愛が痛いほどに伝わって来て、とても良かったです。多くを語りすぎず、悲しさの表現は泣きました。


縞模様のパジャマの少年


胸が痛みました。無知の罪と、無神経さは、自分にも多くある部分だと思いました。人から正しい知識を教えられないことは不幸であるとも思いました。
この映画は、立場の違いによる差別と本当は同年代の変わらない少年同士であるということを8歳の子どもを通して明確にし、人の間に差別を作ってはいけないことを伝えようとしたのではないかと感じています。


カティンの森


最初はとても静かに、話が進んだので、わかりにくかったです。人を簡単に殺してしまう心理は、誰にでも内在する悪の部分なんだと感じました。罪を押しつけることも巧妙で、その発想はなぜ起こるのか、不可解で悲しくなりました。


※今回書いたものはレンタルしたものです。上板橋のフタバ図書が主だったかな。




新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...