2014年4月6日日曜日

気づき

人生を生きていく中で、物事を受け入れて生きていかなくてはと思ってきましたが、
「受け入れる」ことと「受け身」なこととは違うのだと、最近気がついて、
その違いをかみしめています。

確かに、生きる中で、自分の持って生まれたことや変えられない関係性(家族構成など)があり、与えられた肉体の限界や環境の違いはありますが、

それらを活用して自分の色で毎日を表現していくのは自分しかいないと。

今まで、自分は「受け身」で生きてきたということが、初めて自覚できたのでした。

ものごとに決めごとを見いだし、それに従っていく。
誰かがルールを変えたことに対して、自分が対応する方法を考えることもせず、準じてしまう。
考えていないという事実にさえ気付かず、現実を受け入れていると思っていました。

私が生きてきた道は「現実を受け入れた」道ではなく、「受け身の道」だったのです。

私が過去に書いた「あんドーナツ」という愚書にも、自分では気がつかなかったけれどもそんな生き方をしていることが著してあります。

施設と家庭の環境の違いで戸惑ったというくだりです。

肢体不自由児施設から出て家庭に戻ったときに、環境の違いに対応できなかったのは施設の環境のせいという気持ちで私はあのとき書きました。
でも実は違っていて、対応できなかったのは私の思い癖のせいだったのだと気付いたのです。

環境は千差万別で、家に住めない人たちもいれば、戦争の起こる地域で生まれる子供たちもいる、
家庭内でひどい扱いをされているこどもも大勢この社会では生きています。
私の置かれた環境は、そんなに悪くはなかった。栄養のある食べ物は三度三度食べられたし、毎日ではないけれどお風呂にも入れた、学校にも行けたし、お医者さんにもみてもらえました。

積極的に生きられなかったのは私の性格。ただ受けとるだけで何も考えてこなかったのは私の責任を果たしてこなかったということ。

目立とうとするのではなく、そう言う意味でなく、可愛がってもらおうとかそんな意味でもなく、ただ私として生きる努力をすればそれでよかったのです。
サボらずに本を読み、知識を身につけ、友だちを思う。どんなに小さなこどもでも、それはできたこと。

それが、たった先月までわからなかった。48年かかってしまいました。
受け身でいたことによって、多くの人たちに迷惑をかけてしまいました。

気付かせていただいた一期一会に、こころから感謝しております。

新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...