2014年4月13日日曜日

カウントダウン

50歳まであと少し。

私は何をやりたいのだろう。

私がやりたいことって、おいしいものをつくったり、友人と話したり、大切な人たちとの関係を深めたり、今はそういうことだけで、
組織的な動きの中で動きたくはないし、自分の考えがはっきりしないままただ流れの中に身を置きたくはない。
それははっきりしている。

私にとっての今までの仕事は、誰かが用意してくれたものの中で成り立っていて、私の中に根深くある、「人並みに生きたい」(つまり人並みに仕事を得たい)という欲を満たすものでしかなかったのだと思う。
私がこの身で何かを提供できていたわけではなかったのだと思う。

もちろん、世の中助け合って生きているわけで、できないことをおぎないあって人と人は関係を深めていくわけだけれど、提供していくという視点が、今までの私は違っていたのではないかと感じている。
私が今まで求めていたことは、「私が何かを提供していけるために整えられた場所」でしかなく、何かをこちらから本当に提供しようとしていなかったのではないだろうか。
そこが間違いだったのだと思う。
何かを提供する力というのは、人並みに何かが出来るようになるということではなく、自分が持って生まれた ものの中でひとさまに差し出したいがあるかどうかということなのだろう。なにも思いうかばないのなら、思い浮かぶまで学んでいく必要がある。

このからだと心で、できることは何なのか。
自分の欲を満たすのでなく、ひとさまに差し出せるものはなんなのか。

障がいがあることをいい訳にしないで、私自身がこの人生の中でできること。
残して害にならず、糧となるようなもの。
できれば、その選択をできる自分になりたいと思う。

では、自分で選ぶ人生とはどういうものなのだろう。
日々起こるいろんなことについて自分で考え、結論を出していくということは。

自分の思い癖をいろいろ考えていくと、なんだか自分の出した結論がいつも間違っているような気がする。
相手のことを思いやって行動するということが、とても難しく感じてしまう、というか、やっていると思ってしまう。
できてなかったことを知るたびに、ではつぎにどう考えたらいいのか。戸惑ってしまう。

悩んだら、学ぶしかない。
やってみて失敗するしかない。
それが今の私。

知っている方に教えを請うしかない。
そして、自分がやりたい小さなことを日々行い、いわゆる「人並みにあつかわれない」ことを私自身の真実の姿なのだと認識していくしかない。

と言うことで、「みんなが行くから行かなくては」のような発想は、私の中からなくそうと思います。
こんなふうに今人生が選べる環境にあるのも、先人がマイノリティーの生活環境改善の運動をして下さったからだと思うのだけれども。
そこを忘れず、感謝をしつつ、
そのために仕事を辞めたのだし。

なんだかんだいいながら、好きなように生きてこられたのだから、これからも思うように生きていけたらいいなと思っています。
できれば害をまかないように、残せる愛情のはぐくみ方を覚えていきたいと考えています。

全は一、一は全

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