2014年4月19日土曜日

自分で選ぶと言うこと

一つの小さな選択をめぐって、すこしウジウジしています。

行きたいのか、行きたくないのか。

行きたい、と選んだ場合、
その根拠は何なのか。

大勢の知人に会いたいのか、
自分も参加したいと言うことをアピールしたいだけなのか、
そのこと を大勢の人たちと純粋に分かち合いたいのか。

わたしの心は、実はもう決まっていて、

本当に
その選択で本当にいいのかどうか、
不安のようなのでした。

迷う理由はたぶん、
冷たい人と思われたくない、と言うこと。

では、たくさんの方々と、純粋に思いを馳せたいかというと、
一人静かにできれば充分と思っているのです。


答えは出ているのに、なかなか迷いがとれない。
これが依存心なのかも知れません。

誰かの意志に沿えば、選んだ気になれるというか、
正しい選択をできた気がして安心してしまうと言うか。

自分で、純粋に決めることって、本当にしろと黒がはっきりしていたらいいけれど、そうじゃないものって難しい。
この年まで生きてきたのに、全然慣れていないなと思います。

なにか、他の理由にすり替えて、今まで物事を決めてきたのかも知れません。
いいひとでありたかったし、できる人と思われたかったし、気を向けられたかったのでしょう。

こうして書いてみると、やはり私は一人静かにこのことについては思いたいみたい。

わけのわからないことを書いて、読みにくくてすみません。

ところで、
この間御苑でたまたま一人でボーッとしていたら、
「一人ですかーー。誰かと一緒ですかーー。」
と見知らぬ 女性から声をかけられました。

私はとっさになんて答えたらいいかわからなくて、
「一人じゃないでーす」
などと答えたのです。
女性は安心したように微笑んで去っていきました。

そのことを、たまたまその時間別行動していた知人に話したら

「(障がいを持つ人が一人でいられることなど)何も知らなかっただけで、その方はきっと優しいひとだったんだよ」
と答えてくれました。
「なぜってふつうならば声はかけないから。」
そうか、これが人の気持ちを感じると言うことなんだ、とこの時思いました。

私は今まで、こういうことがあると、自分の都合ばかりがふくらんで、憤っていました。
社会的な問題点ばかりが目の前にあらわれてしまい、その方がどんな心持ちでその行動らにでているのか思いを馳せることができていなかったのでした。

わからないと言うことに怒ることはない。
自分だってどれだけわからないまま生きてきたか知れないのに。

わからない私と付き合ってくれた人たちがどれだけいたか知れないのに。

「そうだよね……」私が答えると、
「イヤなのはわかるけれどね」と知人。

私は、とっさのことだったけれど、女性の気持ちを受け取れてよかったなあ、と思うのです。
この瞬間、数年前の自分がまた遠のいたように思いました。
社会の問題も大事だけど、その前に人の思いを感じられる心をいつか持ってみたい。
知人のように。

こういうことがひとつひとつ起きていく中で、今回行かない選択をする私は本当にそれでいいのか、なんてまた迷うのです。
自分本位にまたなっているのではないかと。
世界を狭めているかもと。

心を自分で見極めて、一人で決めて、行動するって、ステキだけれど
ほんとに私できていなかったみたいです。

視野を広げないと、本当に世間を狭めちゃうかも。

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