東野圭吾さんの小説「手紙」を今読み終わりました。
たぶん私には、映画だけよりも小説も読んだほうがわかりやすいのではないかと思ったのです。
差別を受ける側が、差別と向き合い、どう自分の人生をつかんでいくか。
差別のない場所なんてないこの場所で、自分の差別心とも向き合い、人に甘えずにどう生きていくか。
それを切々と私にといてくれたような気がしました。
どのようなかたちで人間の差別心が潜んでいるのか。それを見せてくれたような。
そして、犯罪加害者と被害者家族、加害者家族の心のずれというか、認識のずれのようなもの、加害者側のその脳天気なずれによって傷つく被害者の思いが書かれてありました。
犯罪者の兄を持つ主人公は、差別から逃げずに正々堂々と生きようとしても「まだ甘えている」と言われます。正々堂々と生きていこうとすることをまわりに理解してもらおうと思っている、つまりまわりを変えようと思っている、そのような意味です。
周囲に心の負担を感じさせない選択とはどういう生き方なのか、と。
甘えないで生きるとは、周囲の心の負担のことを考えながら生きることができるということ、つまりそれが人の身になって生きると言うことなのかも知れません。
正義を社会に問うような生き方ではなく、ただ自分の生き方を決めて責任を取る生き方です。
そして、犯罪者の兄は、いつしか知ることになります。自分が脳天気で何もわかっていなかったことを。罪は服役しても消えず、自分の住む世界は変わってしまったということを。
幾つもの毛色の違う思いが交差していて、今はうまく書けません。
障がいを持って生まれて生きるということや、人生の選択のこと、今までの生き方のこと。
もう少し考えて、書けるようなら書いてみます。