日々いろんな会話をしていると、いろんなわからなかったことがわかるようになる。
ある会話から、私が他人に与えている少しばかりの影響を知ったとき、
たとえばにおいとか、しぐさとか、言葉の使い方とか。
わかるようになると、それはそれで少し苦しくて、一瞬、昨日までのことが嘘のように感じてしまう。
たぶん、自分が把握していたはずの「自分」が消えてしまうような気がしてしまうのだろう。
その時、相手の存在は一瞬消えて、自分に意識が集中する。
それが私のわるいくせ。
だぃぶ、復帰するのが早くなったけれども。
今日はそれから、
最近自覚したことについての、相手の気持ちを考えていた。
自分の感覚ではない異質な性質を持った人間がそばにいて、
それは愛していくべき存在で、
でもなかなか近づけない存在であったとしたら、
わたしだったら、そばにいつづけられるだろうか。
それがその人の選んだ運命だったとしても。
たぶん私には出来ないことに、挑戦し続けている。
私は、たくさん経験が出来、いろんな感情を抱く機会に恵まれ、今も悩みながら自分の道を一歩一歩踏みしめている。
こういう環境は「とても恵まれている」としか言いようがないことだと思う。
この環境を提供し続けてくれたすべてのことに対して、すべての人にたいして、
私はもっともっと感謝していいはず。
私がしなければいけない経験だったのだもの。
愛する気持ちは心の底からわき起こってくるものだから,愛さなければいけないと思っても愛せないものは愛せない。
私の「愛したい」という気持ちのうらには、まだ「愛されたいから」というものが残っている。
今の私には感謝は出来る。
たくさんたくさん、今の状況に、過去の経験に、感謝したい。
私の奥底からいつか、あたたかな風がわき起こってくることを信じて。