小さいとき、私はおもちゃをたくさん持っていました。
松本でおもちゃ屋を営んでいた祖父がいたからでした。
祖父は私がいた東京の療育施設にも何度か来てくれました。
小学校に上がって入った寄居町の肢体不自由児施設にはさすがに来られなかったと思いますが。
私が実家で生活するようになったある年に,自分で呼んだ救急車のなかでなくなりました。
一人暮らしをするようになって、個人的に松本にも行けるようになり、祖父がやっていたおもちゃやあとも見にいったりしました。
縄手通りにある神社では、祖父母がそばにいるような気がしたりしました。
なんだか、祖父を思い出すたびに、ああ、がんばろう、と思えます。
最近、よく想い出すのでした。
私が子どもだった頃、施設で生活する子どもたちは、親のある子はみんな会える日を待ちわびていました。
待ちわびて待ちわびて大人になり、面会日のひとときを大人になっても待ちわびていました。
そこにある親子の関係は、互いの思いはどのようなものだったのだろうかとときどき思います。
大人になっていく子どもに、どんな気持ちを抱えて親は逢いに行ったのか。
または会いに来なくなったのか。
子どもはどんな思いで,親を愛し続けていたのか。
私にはちょっと難しい分野です。
その部分が少しひねくれてしまったからか。
それか想像力が欠けているか。
想像力があればいいのに、とも思います。
そういうことをすべて書き表したい、そんな欲があります。まだ言葉がつたなすぎてかけないけれども。
じいちゃんの気持ちはなぜかわかるような気がするのです。
孫という、少し血の薄まった関係だからか、それとも祖父が私を受け入れてくれていたからか。
大好きだったじいちゃん。
今でも大好き。
そう感じられることがうれしい今日でした。