2013年8月11日日曜日

自立生活という生き方

実家を出てから、今年で20年。
20年目の春に私は住むところを変えて、行政との関係を位置から作り直すことになりました。
20年前にアパート探しからはじめたときは、障害者団体という、情報をくれて支えてくれる団体と一緒に動いていました。
それでも、私はもしかしたら、「私が決意してやった」という思いのほうが強かったかも知れません。

今回、すむ環境をいちから作り直すことになりましたが、「一人でやった」とは思っていません。
智恵や勇気を下さった方々がいました。
なにより介助を変わりなく受けられたことは幸せなことでした。
もちろん私も努力は惜しまなかったつもりだけれど、私の生活が揺るがなかったのは、たくさんの方々が支えて下さったからだと思います。

私はたぶん、世間的に障害は重いほうです。
重い障害を持つ私は、どうやって生活するかを考えたときに、次のなかから選ぶことになります。

1 家族、身内と一緒に暮らす
2 療護施設等、24時間介護体制がある施設で暮らす
3 公的な制度を活用して、選んだ地域で暮らす

もし公的な制度を使わないでひとりで暮らすと言うことを選択した場合、私の生活は物理的に荒れて、なんらかの福祉的措置を受けざるを得なくなるので、これ以外のものは考えないことにします。

私は3番を選んで生活しています。
他の選択肢は、私にはありません。

制度を活用して地域で生活していくことを「自立生活」と呼んでいます。
私は「自立生活」20年です。

なぜこの生活を選んだのか
自分一人分の人生の生き方を自分で決め、自分一人分の生き方についてだけは責任を持ちたかったからです。
失敗して泣いても、誰かのせいにしたくなかったのです。

なぜ他の選択肢がないのか
物理的になにもできないと見なされる人間が誰かと一緒に住んだり全面的にどこかに日常を託してしまうと、誰もその人自身を責任のとれる人だと認識しなくなると思われるからです。
私にはその環境に幸せを見いだす度量がまだありません。

私の個人的な考えですが、
人はたとえ小さなことでも自分のことを自分で決めて行動し、そこに責任をとっていくことで少しずつ少しずつ満たされていくのだと思っています。
小さな小さな出来事の積み重ねが、明日の幸せをつくっていくのだと考えています。
ささいなことでも考えて決めて実行したことが自信につながるのだろうと。
そして、実は人のことを思って行動できたことであったりしたら、少し昨日よりもすてきな気分になることも、ようやくわかってきました。

この気持ちは、体験しなくては味わえないことなんだと思っているのです。

私はこの20年、ほんとうにいろんな経験をしました。
いつも良い子でいたわけではありません。
友だちを裏切ったり、縁を切ってしまったり、心を傷つけてしまったこともあります。
いっぱい恥をかきました。
現実から逃避してしまったこともあったと思います。障害を理由に、経験できたことから背を向けたことも、たぶんあります。
だから私はいまでも未経験なものが多いし、人の気持ちが理解できないことが多いのだと思っています。

でもこの20年の時間については、後悔はありません。
誰かのせいで、と思うこともないのです。

障害を持ったからだをいただいて、50さいをあと数年に控え、後悔はないと言える人生を送っていることは、私にとって奇跡であり、とても恵まれたことだと思います。

自立生活、選んでよかった。
ほんとうに、よかった。

今日も眠りにつくことにいたします


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