2018年2月28日水曜日

2月のまとめ

今日で2月が終わります。
今月は思いもよらないことがあったり、背筋を伸ばして考えを正すことがあったり、しました。
知人とも話す時間があったり、出会いもありました。

一ヶ月過ごして見て気がついたことは、

自分で気がつかないことは、人に言われないとずっと気づかない。だから聞く耳はいつも謙虚な気持ちで持っていないといけない。

自分中心の人とは、他者への興味が伝わらないので、親しくなるのは難しい(自分がそうだったので、反省の意味もあります。)

価値観の違いを越えるには、着地点を自分で考えること。

たとえ相手のことを思って使った言葉も、エゴイズムが入っていることがあるので気づくことは大事。

やはり耳が痛いことは、心が萎えるなあと思う。どう自分で受け入れるかが大事なこと。そして経験を積むということも大切。

大切な人を大事にすること。裏切らない姿勢を持つこと。

さあ、明日から三月です。 

今朝の夢

夢で叱られてしまいました。

昨年、傾聴ボランティアの研修会で講師で教えていただいた先生が今朝夢に現れて、

研修をサボるんじゃありません

と一喝。

今、何を指しているだろうと考えています。

リアルで今年の傾聴ボラの研修、まだ申し込んでないからこのことなのか、
最近ピグのゲームにハマりすぎていることの罪悪感なのか、
人生で毎日のことをサボっているということなのか。
(確かに内省日記は数日書いてなかった汗)

どれもこれもかなあ。本も読みきれてないし、
やる気の問題かもしれません。

2018年2月22日木曜日

大切にしたいこと

今の時点で、私が大切にしたいことは、

他者の価値観を知ること。
自分のやりたいことに嘘をつかないこと。
気持ちを聞く努力をすること
エゴイズムの意思に従わないこと。

です。

エゴイズムの意思に従わないためには、

感じたままに即行動しないこと。
つまり、感じたことがエゴイズムなのか、そうではないのかを見極める時間をもつこと、
でしょうか。

先日、知人が教えてくれたことは、

最初に感情を感じ、時間をおいて思考が働く、
ということでした。

私の場合は、エゴイズムが多いので、
感じる前に、エゴイズムが反応してしまうことが多いのかもしれないと、その話を聞きながら思いました。

大切にしたいことを心に、明日も過ごしてみようと思います。

今朝の夢

久しぶりに夢を見ました。

いつも介助派遣でお世話になっているBさんに、
「今回の旅行は取りやめてほしい」
と説得される夢でした。
何かやんごとないことがあるらしく、あまり熱心に頼まれるので、Bさんのためにやめよう、と思った時に意識が戻り目が覚めました。
昔の家で、真夜中に二人で向かい合って話していました。奥には白いカーテンがかかってありました。

今こうして書いてみると、なんとなく意味がわかるような気もします。
思い込みかもしれませんが…。

2018年2月21日水曜日

かけ違えたボタン

成人してから、なぜか責任者になることが多く、変にその経験をたくさん持っている私は、どうしても人様に対して態度が大きくなりがちになってしまうようです。ことば使いも非常識だったり、変に対等性を意識してしまったり。若い時から生意気な口をききがちで、それはとても自覚をしていました。

おまけに言い知れない怒りも抱えていましたから、やはり性格が悪かったのだと思います。

最近だいぶ静かに過ごせるようになったものの、まだ問題は解決しておらず、ある方が私の上から目線を指摘してくれました。

どうもとっかかりの話題が、私が未だ過反応することだったらしく、そこから自分の価値観で受け答えをしていたみたいです。

みたいですと書いているのは、それらが無意識だったからです。

古くからの知人は、私がそういうところを持っていることを知っていて、
「時々まだ反応する部分があるよね」
と。

それでも最初はあまり理解が深まらず、ネットでそれらしい言葉を調べたりしていました。
翌日、もう一度知人と話したときに、ああ、自分の世界で自己分析していた、ということに気がつきました。
相手が聞いて欲しかったのは、その時の気持ちであって、そのことに対する分析ではないということ、その視点こそが上からものを見ているということに気がついたのでした。

自分の価値観の中で会話をしてしまうと、それが自分の欲や、思い込みであればあるほど、受け答えも安易になってしまうということが、今回わかりました。
私の経験値の中で答えていくと、ともすると先入観にはまり、決めつけてしまいます。そのくせが多く出ていたようです。

他者と一緒にいる時間は、自分の価値観の外にいるということを意識することが大事なのだと知ったのです。

この感覚は、きっと多くの人たちと関係性を持つことで、徐々に身につくことなのでしょう。私がその経験に疎かったのは、意見を言ってくださる人たちとの関係が薄かったこと、その関係を求めなかったことにあります。

多くの人たちが、これまでの生活の中で、何も言わずに去って行った事実を思い出しました。
きっと私は、鼻持ちならない性格を、晒していたのだと思います。
そして、教えてもらわなければ、その場では絶対気づかなくて、自分はいいコミュニケーションを取っていたと思うままでいたと思います。
自分では気がつけなかったという、大事なことを知ったのでした。

上から目線で人を見てしまうところは、私の無知な面を表しています。本当にそのことについて経験に基づいて理解しているならば、わかった風にいうことなど到底できないことなのですから。自分は何も知らないということを、人様にひけらかしていたということです。

とても冷静に、感じていたことを話してくれたそのかたに、とても感謝しています。

かけ違えたボタンは、自分から掛け直さないと、誰もただすことができません。
毎日会う方々の言葉を本当に聴けるように、努力しようと思った出来事でした。



2018年2月10日土曜日

ボランタリーフォーラム東京2018

たまには別方面のことも知りたいと思い、飯田橋で開催されている

ボランタリーフォーラム2018」に行って来ました。

集会のようなものに行くのは久しぶり。少しドキドキしました。

今回、参加したのは一つの分科会。



2015年9月に持続可能な開発目標(SDGs:SustainableDevelopmentGoals)が採択され、2030年までに達成すべき17の目標が設定されました。
経済・社会・環境のバランスが取れ、「誰一人取り残さない」世界を2030年までに実現することを目指すSDGsは、私たちが求める地域や生活のあり方とも大きく関わっています。
世界が目標として掲げるSDGsを実現するために、各地域での取り組みがとても重要です。遠いようで近いSDGsについて、まずは知る機会をつくります。 
                             上記ホームページより

地球がなくならないように、続いていくようにという思いのこもったSDGSは、2015年の国連サミットで全会一致で採択されたものだそうです。

今回は、障害分野から、そしてリサイクルの分野から、実践発表を伺って来ました。
障害分野の実践を話された方は知人だったので、お会いできたことも本当に良かったです。

グループディスカッションも面白かったです。立場の違う人たちの話は興味深く、意見も聞いてもらえて有意義でした。

私は個人の生活の中にどうこの考えを取り込んで生きていくかということを考えながら聴いていました。
いろんな分野とゆるくつながりながら自分の生活を考えていけたら素敵だし、世界と逸れずに、できることを探していけたらもっと素敵なことだと思いました。

参考資料 外務省ホームページ  持続可能な開発のための2030年アジェンダ

2018年2月4日日曜日

2がつのすごしかた

今日は立春。2月になって4日が過ぎました。

今月は、書き残した手紙を書き、長い間いくことをやめていた、多くの人たちが集まる場に行ってみることにします。
少し視野が広がると良いと思います。

多くの人が集まる場をなぜ避けていたかというと、無意識にその場で注目されることを求めてしまう自分を自覚したからです。
自分の学ぶ場として活用するのではなく、目立ちたいという気持ちを助長するばかりだったから。
もう少し、心が落ち着いてから、意識的にそういう場には参加できるようになろうと思ったのでした。

今回、果たして、出かけてみて気分が変わるかどうか。
やってみようと思います。

そして、今の私ができることの中から、やりたいと思う気持ちを意識して、行うこと。
なんだか抽象的な表現になりました。
焦らないで、心が冷静になるのを待ち、リラックスして行動すること。

そして、このブログに残していくこと。

どんな風に書いていくのか、今はわからないけれど、書かないと心がどこにあるのか、自分でも確認が難しくなってしまうので、少し心に決めてやってみようと思います。

2018年2月3日土曜日

2018年いちがつ

一月は、穏やかな天気とともに始まりました。
年賀状、初詣、おみくじを引いて、お札を買って。そして恒例の正月カラオケ。
三が日は料理もあるもので、ゆっくり過ごしました。

今年の目標は、より深く人との関係を大切にすること。
はじまりの一月は、昨年から引っかかっている関係性のことを、私なりに考える日々でした。

自分として流されずに生きること、
冷静にものを伝えること、
それがいかに苦手だったのかを知る機会でもありました。

心に残っている人たちに、連絡をしてみることを昨年末から始めましたが、
1月に入って。今度は、関係性に自分なりにしめしをつける、くぎりをつける作業も始まりました。

まだ、伝えられないままに放っておいているものもあります。
優等生にはなれません。

突然、家族との過去のことを整理する機会が来たり、
心も忙しくなりました。

嬉しかったことは、妹たちとのラインに自分の心を少し書くことができたこと。
それを妹たちが読んで、それなりに答えてくれたことです。

きっかけはNHK特集のビデオでした。

昔、国際障害者年の時に、取材を受けたのです。

私は当時、放映されたテレビを見ませんでした。

私ができた、反抗でした。

そのあと時が流れ、ダビングしてもらったビデオテープをもたせてもらって、自立生活をしました。
一度、そのとき近くにいた友人と見た記憶があります。真剣には見なかったけれども。

今回改めて見れたのは、良い機会でした。
なんて暗くて、固定観念ばかりの映像なのだろうと、思いました。

いろいろ書いて、当時一緒に写っていた古い知人に手紙を送ったら、

もうその時の自分をあれこれ評価しなくて良い、と、返信にありました。観られなかったとか、自分が幼稚だったとか、うんぬんかんぬん、もう自己評価しなくて良いと。

あれはテレビ局がつくった番組。

映像は嘘をつく、と知っていながら、自分が取材を受けたものは、真実が写って欲しいと思ってしまう。これも私の思いぐせなのかもしれません。何かに期待してしまう、癖なのかも知れません。

でも今回のことで、妹たちのいろんな思いを少しでも聞けたのはよかったなあと思います。

一月のうちに、書きたい人に思いを伝えようと思っていたけれど、伝えたいことが危ういうちはやはりかけなくて、2月に持つことにしました。


新しい関係性にも飛び込みました。終わっていくのを知った関係性もありました。
1日1日が貴重な機会で、何かをやろうとした一回一回がまたとないチャンスなんだと、改めて思います。
一貫していたのは、関係性の結び直し、距離の調整、だったようにに思います。

私の課題は、怠けごごろとどう付き合うか。
自然が好きで、食べることも街を歩くこともとても好きなので、介助者さんにその日の家事を取り組んでもらった後は、いっしょにまち歩きを徹底的に楽しむことにしました。

一人の時間はこうしてできる限り集中して必要なことに向き合えるように。

それでも、注意散漫になった一ヶ月でした。

2月が始まりました。今日は新たな展開が。月が変わったということを告げるかのように。

私はとりあえず、できなかったお手紙をかけたら良いと思っています。





2018年1月25日木曜日

料理研究会1 柑橘系ピールコンポート

最近、ある方から言われたことが心に残っています。

「ここは、料理研究会があるから…」
家にあるもので美味しいものを作ってもらうために、日々研究している、とその方はおっしゃるのです。時々物凄いものも出てくるけれど、絶品もある、と。

常識があまりない私は、レシピにこだわりなく作ってもらうことが多いです。
みなさん、根気強く私の意図を聞き取って作ってくださるので、私の理想通りのものもできるし、指示した現実に忠実なものになることもあります。
そこは介助をお願いした私の責任なので、毎回美味しく最後まで食べさせてもらっています(汗)。

最近好評だった柑橘系のデザートのレシピです。


橙とキンカン、ゆずのピールコンポート風

材料
橙 ひとつ
ゆず 小さいものが5つほど
キンカンの水あめ煮 適量
(キンカンは今回はあらかじめ水あめで煮てもらったものが残っていたので使いました。)
白ワイン 100cc弱(安いものです。)
てんさいオリゴ糖シロッブ 適量(50cc強残っていたので、全部使いました)

作ってもらった記録
橙は皮だけをまず切ってもらって、下ゆでしてもらい、茹でたお湯はこぼしました。
ゆずの実とかわ、橙の実を適当な大きさに切ってもらい(皮は細く切ってもらいました。)橙の皮と合わせて、ワインで煮詰めてもらいました。
ワインが少なくなった頃に。水あめごとキンカンを入れて(キンカンはもともと半分に切ってもらってタネを抜いてもらっていましたが、この時に細く切ってもらいました)少し煮詰めました。
最後にてんさいオリゴ糖シロップを入れて、少し煮て終わりです。

クラッカーにのせて食べるととても美味しくて、あっという間になくなってしまったので、来年も作っていただこうと思っています。
その時はまた違ったレシピになるとは思います。今回はたまたま水あめがあったりしたのですが、毎回買うとは限らないので。

身まで全部入れてもらうのは、もったいないからです。できるだけ、買った食材は、全部食べてしまいたいと思っています。

遊び呆けて、介助の方に料理してもらうことを選ばないままに、気づくと野菜等をダメにしてしまう時もあります。
食べないまま、買った野菜を捨ててもらう時はとても残念です。

今回のものは、なかなか好評だったので、楽しい思い出になりました。

聞こうとすること

昨年、高い音が聞こえにくくなったことがあり、耳鼻科に行ってみたりしました。
目覚ましがわりに使っている、携帯の着信音が、聞こえなくなったのです。

耳もいくらか違和感がありました。

クリニックに行くまで、老化現象かなあと勝手に思っていました。

お医者さんの見立ては違っていて、投薬するとのこと。治るということですか、と伺うと、治ります、とのこと。
治るんだ、というのが、なぜか新鮮でした。老化ならば治らないと思っていたし、治るということは原因は別にあるということです。

どうしてなったんでしょう? と質問すると、

最近、眠れなかったりしませんでしたか?

あ、そうか、ストレスか。その時少し思い当たることがありました。

そんなに大きなことではないのに、なんてこと!
 自分の体の反応にびっくり。

いただいた薬は、2週間分。眼圧を下げる薬は、えらく甘くて、飲みにくいものでした。

行きつけの薬局の方が丁寧に説明してくれて、液体の薬以外は体の中にあるものだということ。耳鼻科ではよく処方されるものなのだということでした。
お医者さんには本当に行かないので、知らないことが多いです。

この時期にヒーリングのセッションを受けていたので、違う観点からも、師のサポートのもとに見てみました。(私はヒーリングの師の元では、自分で問題をみつけてその原因を理解するトレーニングを受けます)

すると、聞きたくないというネガティブな思い(ヒーリング用語ではエレメンタルと言います。エレメンタルをいつも生みだしながら人は生きています。ポジティブなものとネガティブなものがあり、一度作られたエレメンタルは二度となくなることはありません)が詰まっていました。

そんなに聞きたくなかったのか、と思いました。

体の他の部分にも、調子の悪いところは出ているのですが、この耳の状態は、私がいかにネガティブな思いを海だと安いかを示していました。

少し前までは、自分は間違っていない、という思いの方が強く、なにか自分の中の正義と反することがあると、反論するのが常でした。そうやって自分の正義感を守っていました。その頃も体の緊張などは強かったことはありましたが、最近は少し違ってきています。

自分の中の正義が壊れ、正しさの価値観が壊れたせいか、人に憤慨する前に、一度自分の中に起きたことを取り込むようになりました。
でも、心の奥ではまだ自分が正しいというところにいたいという面があるので、聞きたくないことに耳を塞いだのだと思います。

セルフヒーリングのせいか、薬のせいか、耳は1カ月足らずでほぼ聞こえるようになりました。


さて。
今朝、また、携帯の目覚ましがよく聞こえていないことを発見しました。
セルフヒーリングをすると、聞きたくなかったという思いがたくさん!!

え、でも聞いたし、ちゃんと見ようとしたし、確かに思い当たることはあるけれど、耳は塞がなかったのに。
どうゆーこと??

近いうちにセッションがあるので、その時に時間があればもう一度理解に努めようと思うけれど、とりあえず原因はわかったつもりでできることはやってみました。

携帯の音が明日の朝も聞こえづらいようなら、またあの不味い薬にお世話になることになります、涙。

聞こうとするということって、本当に私には難しいようです汗。

2018年1月22日月曜日

多目的トイレ

多目的トイレがいろんなところにつくられて、以前よりトイレは行きやすくなりました。
全てのところとはいかなくても、大きな商業施設や公共の施設には大抵あるし、本当に助かるようになりました。

ただ、若く亡くなった私は体の融通も効かなくなり、手摺の高さや位置で使いづらさを感じる場所もあります。
今は介助の方がいないと一人では使えなくなってしまったけれど、介助の方に手伝ってもらってもやりにくいトイレがあったりします。

こういうのって、使い勝手の良し悪しは千差万別だから、誰にどう提案していいか迷っています。
私が使いにくくても、他の人は大丈夫かもしれないし。
私が使いやすくても、他の人が使いやすいとは限らないし。

例えば便座の高さも、規定より高くしてあるところも多いです。たしか、車椅子から便座に乗りうつる時に、ある程度便座が高い方が動きやすかったりすると聞いたことがあります。

私は背が低いから、このような高さ調整がしてあるものは座るのに至難だったりします。

手すりも、片側がなかったり、左右両方が可動式だったり、長さが微妙に短かったり、便座から遠かったり。
私は固定式の手すりがないとうまくつかむことができないので、せっかくトイレを見つけても、使うのを諦めて他を探すこともあります。
使いやすいトイレがあるところは、やはり自然と覚えていたりします。

最近感じるのは、全部多目的トイレに設備を集中しなくても、一般のトイレに設備を分散すればいいのにな、ということ。
場所によっては、赤ちゃんスペースのある男女のトイレもあるけれども。

例えばオストメイトの設備とか、着替えの台とか、オムツ取り替えの設備とか、もっと一般用のところにも増やせないかなあって。

いろんな人が使えるトイレにするには、使う人の人口比のことも考えて、少し設備を分散させるというか、一般用を多様にした方がいいと思うのですが、場所的に作るの難しいのでしょうか。

昔は一般用のトイレの中に車椅子が入れるスヘースを、と考えていました(そういう場所もありますけれども)。いろんな事情があって多目的トイレとして広がったのだと思うから、それはもう言わないけれど、もしかしたらそういう少し広いスペースは本当に人口比的に必要かもしれないって、最近思います。車椅子が入るためだけではなくて、その人の必要な設備を整えるために。

どうなんでしょうね。


新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...