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2021年2月10日水曜日

チャクラヒーリング感想「わたしの青空」

    長年お世話になっているヒーリングサロン Medicine Wheel で、2015年に受けたチャクラヒーリングの感想が、ヒーリングサロンのnoteに掲載されましたので、こちらにもリンクさせていただきます。

私は、このブログに自分の過去の情報などを書くことをしてこなかった時期が長くあります。

ひとつひとつのヒーリングの時間で得た私の過去の情報は、聞き心地のいいものではなかったからです。


自分が、レイキヒーラーであり、長く霊的真理を師について学ぶ身であり、このブログは私自身のヒーリングサロンのブログも兼ねているのに関わらず、自分の経験をブログに残すことをためらっていました。


ためらっているうちに、どこから書いていいのかわからなくなりました。

今はぽつりぽつり書いていますが、プログに書くかどうかは未知数です。


過去の自分が、書いた感想を読み返してみると、その時必死になっていたリアルタイムの自分が思い起こされます。今回リンクしたこの感想文の内容は、受け止めていくのに時間が必要なほど、私には多様な内容でした。その内容を咀嚼することに必死だった当時の自分を思い出しました。

そして、この時の私にとって、人生の再出発の機会にもなりました。

どこの世界もそうだとは思いますが、ヒーリングの世界も甘いものではありませんでした。自分がどのような道を生きてきたのか、これを踏まえてどのような道を進んでいくのか、突きつけられた自分から自分への挑戦状のようでした。


だいぶぶっ飛んだ内容ですが、興味がありましたら読んでいただけると幸いです。


チャクラヒーリング体験談 「わたしの青空」



2021年2月3日水曜日

チャクラヒーリング実習レポート 7 第七チャクラとパイプクリーニング

   長年お世話になっているヒーリングサロン Medicine Wheel で、

年末に受けた、遠隔での実習レポートを、順次転載させていただいています。

最終日は、第七チャクラと、パイプクリーニングです。

今回の経験を通して、私は、自分の視野が狭いということに気づきました。
見えるイメージが、一つの流れに沿っていたからです。

確かに、外部からのさまざまなものに対処することが必要な時期のヒーリーだったのかも知れません。でも、もしももう少し私の興味の範囲が広かったとしたら、別の視点が見えていたかも知れないのです。
ヒーリングの時間も一期一会です。ベストは尽くしたつもりですが、見えていないところは多かったかも知れません。
もっと自分を磨かないとと思いました。

それから、自分が感じたこと、みたことは、信じることも大事なことなんだとも思いました。それがないと、見えたものに対する対処ができないと思いました。

今回の機会をいただいたことに、深く感謝しています。また、noteを通して、この実習の時間を省みることができることにも、重ねて感謝いたします。


2021年2月2日火曜日

チャクラヒーリング実習レポート 6 第六チャクラ

  長年お世話になっているヒーリングサロン Medicine Wheel で、

年末に受けた、遠隔での実習レポートを、順次転載させていただいています。


6回目は、第六チャクラです。

チャクラ・ヒーリングは通常、第一チャクラから順番に行います。
一つのヒーリングが終わった後は、1、2週間、間を開けるのが通常のやりかたで、私もそのように教わりました。
今回は実習でもあり、受け手側の方は「その道のかた」ということもあって、日程的には準じていません。
私にとっては貴重な体験でした。

よろしかったら読んでいただけると幸いです。


2021年2月1日月曜日

チャクラヒーリング実習レポート 5 第五チャクラ

 長年お世話になっているヒーリングサロン Medicine Wheel で、

年末に受けた、遠隔での実習レポートを、順次転載させていただいています。


5回目は、第五チャクラです。


毎回リポートを書き、それに対しての返信を読む時間は、私にとってとても有意義な時間でした。

学生の時、低学年の頃にそうして手厚くみてくださった先生がいました。

その時のことを思い出しながら、取り組んだ時間でもありました。

よろしかったら、読んでいただけると嬉しいです。


チャクラ・ヒーリング∞実習レポート⑤ 第五チャクラ 

2021年1月31日日曜日

チャクラヒーリング実習レポート 4 第四チャクラ

 長年お世話になっているヒーリングサロン Medicine Wheel で、

年末に受けた、遠隔での実習レポートを、順次転載させていただいています。

今日は、第四チャクラの実習リポートです。


実習のさなかも、感じることがありましたが、リポートを通してのやりとりも、毎回充実したものでした。

数年前の自分だったら、冷静に取り組めなかったかも知れないとも感じました。


チャクラ・ヒーリング∞実習レポート④ 第四チャクラ

2021年1月30日土曜日

チャクラヒーリング実習リポート 3 第三チャクラ

 昨年末、ヒーリングサロン Medicine Wheel で受けた、遠隔でのチャクラヒーリング実習。

受け手になってくださった方は、ヒーリングサロンの主宰者、私にとっての、「師」です。


noteに掲載されたものを、転載させていただいています。


実習のお話の時に、セッション時(今はリモート(Skype)ですが、直接アドバイスが受けられます。)がいいか、遠隔で自分だけの時間で行うか、選ぶことができました。

私は今回は、遠隔で、一人の時間の中でヒーリングさせていただくことを選びました。


個人セッションは月一回だし、時間も限られているので、自分自身の問題に取り組む時間に使いたかったのです。


希望通り、遠隔での実習となりました。

いざ、取り組んでみると、判断に悩むことがたくさんありました。

いままでたくさんの時間、習ってきたことでしたが、その経験を生かすということの難しさを今回体験しました。

もしその場その場でアドバイスを受けていたら、違うやり方を選べたかも知れません。

受け手の方にとってどちらが良かったのか、今も思い起こすことがあります。


読んでいただけると幸いです。


チャクラヒーリング∞実習レポート3    第三チャクラ


2021年1月29日金曜日

チャクラヒーリング実習レポート 2 第ニチャクラ

昨年末、ヒーリングサロン Medicine Wheel で受けた、遠隔でのチャクラヒーリング実習。

受け手の方は、ヒーリングサロンの主宰者、私が教わってきた、「師」です。


私はこのサロンで十数年、霊的心理の理論を学んだり、グループで協調性を大事にしながらお互いのことを学びあったり、ヒーリングの担い手としてのトレーニングを受けたり、ときにヒーリングをしていただいたり、有意義な時間を過ごさせていただいてきました。

以前は月2回、学ぶ時間をいただいていましたが、数年前から月一回の授業になりました。

サロンに来ることで安心してはいけない、一人で考えていく時間も大事、ということでした(甘えてはいけない、ということでしょうか)。

最近は、コロナ禍で、リモートで授業を受けることが多くなりました。

自由にスクールに通えた日々が、どんなに恵まれていたか、身に染みて感じています。

 実習レポート2回目は、第二チャクラです。

読んでいただけると幸いです。


チャクラヒーリング∞実習レポート②

2021年1月28日木曜日

チャクラヒーリング実習レポート 1 第一チャクラ

 年末に、ヒーリングサロン「Medicine Wheel」で、遠隔でのチャクラヒーリングの実習を受けました。

受け手になってくださった方は、サロンの主宰者のかた。長年お世話になっている、私にとっては「師」といえるかたです。


なので少し緊張も汗

でも、いい経験をさせていただきました。


コロナ禍の中、自宅にいたまま一人の時間に実習でき、充実した年末を過ごすことができて、感謝しております。


毎回リポートを提出したのですが、そのレポートと、受け手の方の感想がnoteに公開されています。


リンクを貼りますので、よろしかったら読んでいただけると幸いです。

順次紹介させていただきます


チャクラ・ヒーリング∞実習レポート①


2020年11月18日水曜日

罪悪感を手放す

 今月のヒーリングサロンでの個人セッションでは、前から気になっていたことに取り組むことにしました。

なんとなく、感じてはいたのですが、ここ何週間で明確に感じるようになったこと、


ある人と会うことで、数日後に体調を崩すことが多いと言うこと。


もともと自律神経が弱く、更年期になってからそれが頓着になって、ストレスがそんなにないと思われる日々を過ごしていても、頭痛が酷かったりする日もあって、

老化というものは、今までの感覚からでは判断できないことが多いものだと感じていました。


気づいたきっかけは、コロナ禍の中でつけるようになった、体温の記録を見た時でした。

その日にどこに行ったか、長い時間一緒にいた人は誰だったか、簡単に毎日記しているのですが、


どうも、あることの後数日後に、自律神経のバランスを崩しているらしい、ということに気がついたのです。


その日の夜セルフヒーリングに取り組むと、確かに、そのかたのイメージが。それも、私を恨んでいるというか、私をお嫌いらしいのでした。

思い当たるできことはありまして、私もその時分、今よりもっと人間的に浅はかで力量不足ということもあり、相手の方が求めることを差し上げることができませんでした。

その時のことは今も心に残っているのですが、どうにもならないまま今日まで持ち越してはいました。

気がついただけでも良かったと思いながら、その日の晩はセルフヒーリングで出来る限りのことは行ったのですが…。

私の感じたことは果たして本当だろうかという疑問が残りました。

見えない部分での人との関係は自分の感性だけが頼りです。確かに表面的にも嫌われているということは、そのかたも態度に出しているので理解できるのですが、実際自分の調子を崩している原因として考えてしまうのは危険なのではないかと感じていました。


個人セッションの日、事情を話すと、師は、ただ、その人がどんな人であるかを説明してくれました。

私が感じたことがあっているか間違っているかという答え合わせではなく、その人の性格を踏まえて、私がなぜ彼女の思い(念)を受け取ってしまったかという説明をしてくれたのです。


私はその方に対して、もしかしたら助けられたのに助けられなかったのではないかという思いを引きずっていました。それは罪悪感でした。


いろんなことを考え合わせると、本当に私にはできないことだったし、力量不足でできませんと答えることは、当時の私にとってできることでした。

なのに心のどこかでは、本当に何もできなかったのか。しようとしなかっただけなのではないかと、自分を責めていたところがありました。なのでそういう私の罪悪感とその方の被害者意識の波長が合い、私はその方の思いを受け入れてしまっていたのでした。


罪悪感というものは、相手の方を加害者にしてしまいます。無意識の中で。

今回、それを学びました。私がこのことに関係する思いを手放せば、日々の体調も改善し、相手のかたを意識しなくてもすみます。


私も体調を崩すなど思いもよらないところで支障が出てしまったけれど、相手の方も実は私の姿を見るたびに、気まずいことを思い出して嫌な気持ちになっていたのかも知れません。

本当は顔を合わせないで過ごすことができたら、お互いに良いのでしょう。


罪悪感といえば、昔勤めていた職場に対して、運営状態が大変なことを知っていながら退職してしまったことに罪悪感をずっと持ち続けていたようです。

障がい者福祉の分野は私の生活に密着していることなので、いろんな面で、話が耳に入り、一喜一憂してきました。


でも、今回の個人的な出来事が契機となり、ああ、この焦燥感も罪悪感から来ているんだと自覚できました。

私はもっと仕事ができたはずなのに、しなかった、してこなかった、しなくてはいけなかったのではないか、という思いは、

できなかった原因が力量不足や、不向きだったということを忘れて、もっとできるぐらいの力量があったのではないかと思いたい傲慢さが元になっているように思います。

罪悪感というのは、傲慢さなのかも知れないと思いました。


私は、仕事をやめた時、自分の力量の現実を知ったのでやめたのです。

その感覚に嘘はなかったのです。当時悪化した体調も、それを教えてくれていました。


私は罪悪感を手放しました。そして、自分にできることをせいいっぱいやり続けようと改めて思いました。




2020年11月8日日曜日

見失った時代を振り返る 1

 本当はコロナ 禍は落ち着いたわけではないけれど、以前より落ち着いているように見えるこの頃です。

日常生活の中で+アルファの部分であった、動的なボランティア活動が難しくなり、空いている時間は、動画鑑賞と本に依存しています。

時折Zoomで友人と話したりできているのはありがたい限りです。


この数ヶ月、身近な人との関係を見直す時期でもありました。

なぜ自分は今の家族と巡り合ったのか、

自分は家族の中でどんな役割だったのか、

私はその役割が果たせたのか、そしてどんなふうにこの先を生きていけば良いのか。

霊的心理を学び続けている身である立場から、ヒーリングサロンの時間をいただいて、少し振り返る作業をすることになりました。

私の生きてきた過去性の多くは、いろんなものを背負ってしまう結果になったものが多いのですが、今生で家族になってくれた人たちの中にも、私と同じような過去を持ったり、私と同じような課題を残してしまったりした人たちがいるようです。

特に私は、遠い昔の過去生の中で、ただ自分の権力にしがみつき、周りで世話をしてくれる人を人と思わずただふんぞり返っているある人物の生き方に憧れ、その生き方を後の人生で追求し、想いを達成してしまったことがあったようなのです。

その人生で実は多くの人を苦しめた上、その後もその思いはネガティブエレメンタル(エゴイズム)として私の中に残り、たくさんの人生を狂わせました。

今回私は多くの人との出会いに恵まれて、物事をネガティブに考えないことと、思いやりのありかというものを学びました。多くのことを知った今、私欲に流されたり、自分のことばかり考えて行動することはやめようと決めています。

その目で見てみると、未だ気付けずに自分が正しいと信じて、周りの思いに気づかないまま生きている人が哀れにも見えます。いつか気がついた時、その人はきっとひどく悲しむと思うからです。

自分がどんなに周りの人を苦しめてきたかということを自覚した時は、とても苦しいからです。そんな思いをこれからいつか自分から飛び込んで感じる日が来るんだと思うと、その人に対して複雑な思いになります。

でも私にとっては、その人たちは身近な存在であり、そういう利己的な考えを持つ人を身近かに感じることがどんなに辛いかという経験をくれた人たちでした。なかなか得られなかった感情を今回味わうことができました。

私も、誰かにこのような思いを与えていた、このような苦しみを与えていたと気づかないまま、毒を吐いていた時代がありました。人の意見を耳にせず、気にかけてくれた人を悲しませながら、自分本意に生きていた時代がありました。

そのことを忘れてはいけないと思いました。

何千年の魂の旅の中で私が気づけたように、いつかみんな気がつく日が来るのです。誰かの声が心に届き、自分から自分を見直せる日が来ます。

今はその意味も信じられるのです。


いろんなことを知ったとしても、日々の課題が消えたわけではありません。  

一日一日を、どう生きるかなのだと、やはり今回も思いました。


何度も悩み迷い、何度も思い出し確認する、その繰り返しの中で、いい部分が強化されていくといいのですが…。






2020年9月28日月曜日

ご縁と、過去生と

 思えば、前回の更新から一ヶ月経ってしまいました。

おかげさまで体調良く、日々を暮らすことができています。


この一ヶ月、心の隅にあったことを、書いておこうと思います。


身内との縁をふたたびたどる機会を作りました。

きっかけは、8月の個人セッション。
身近な人との、過去生の接点を辿ることになりました。


レイキヒーリングを習ってから、私は時折家族のヒーリングをさせていただいています。

ヒーリングという行為は、本来、本人の許可がなければ絶対にしてはいけないものです。ヒーリングはあくまで「させていただくもの」であり、本人がやりたいと思って初めて成り立つものだからです。
やってあげたいから、必要だと思うから、など、こちら側の勝手な思いでしてはいけないのです。

本人にとっては今の状態がベストなのかも知れないし、やってあげたいと思うことがこちら側の傲慢な気持ちかも知れません。大きなお世話と言うことになってしまいます。

また、許可を取らずにしてしまうと、なんらかのカルマになるそうです。


ただ、家族は、本人の許可を取らずにできるそうなのです。

父、母、兄弟姉妹、娘・息子、そして夫。

私の場合は、子供や夫はいないので、それ以外の家族という括りになります。

肉親のご縁は切れることはないので、ヒーリングも可能のようです。


家族のヒーリングといっても、始めると大抵は寝てしまいます。
なので、レイキエネルギーを送ることぐらいしかできません。


先月、日常の出来事がきっかけで、家族の一人との関係性を、個人セッションの場で振り返る機会を得ました。

二人の人生に接点があった、出来事を知る時間でした。


一つは、私がエセ坊主だった時代。どこかで手に入れた怪しい民間療法の本の内容を鵜呑みにして、見よう見まねで人さまにアドバイスをしていたらしく、その行動が原因で多くの人が迷惑を被っていたようです。
家族の一人はその被害者で、家族を亡くしていました。

もう一つは、ルーマニアの古い時代のことです。
この時代の私は男性で、脊椎カリエスのような障がいがあるようでした。
当時雇われていた主人の指示で、子供達を集めていたようです。

家族の一人はそのときに子どもを失った犠牲者でした。


たくさんの過去を振り返ってきたここ10年ほどでしたが、今回知った過去生については、とても心に残りました。

子供達の姿が、脳裏に焼き付いたからです。

本当に申し訳ない思いでした。


そのことを踏まえて、家族と私の遠隔ヒーリングを依頼したのです。


ヒーリングの結果を毎回読ませていただいたとき(遠隔なので、施術後どうだったか、後日メールが届きます。)、

それぞれの人生があるのだなあ、と、しみじみ思いました。


確かに、私との過去生の出会いは、よくないものばかりで、客観的にみられないものばかりでした。

でも、過去生というものはものすごくたくさんあり、それぞれがそれぞれの課題を持って今の人生があるということを実感したのです。

そして、障害ある私の人生は、今の家族に与えるものがちゃんとあったということも理解しました。

私たちはこの人生で家族になって、

切れないご縁の中で、学び合っている、そう思いました。

そして、人生の課題はそれぞれのものであるから、それぞれが気がついていけばいいことで、

私だけが、過去生があるからと、全てのことを背負おうとしなくていいということも理解しました。

ヒーリングの世界は、サイキカル界(感情の世界)なので、その人の本当の気持ちが伝わってくることもあります。

家族から私への問いは、

「人生、楽しんでる?」「自分を慈しんでる?」というものだったそうです。

さあ、どうなのでしょう。どうなのかなあ。

今はただ、このコロナの世界を感じて生きようと思っています。










2020年5月24日日曜日

私は誰??

スティホームが続いた東京。コロナウィルスは、ほんとうにいろいろ考える機会を私にくれました。
このことは後でまた書きたいと思います(まとまればいいな)。

思いつきですが、プログの文字表示を大きくしてみました。
パソコンやスマホは拡大機能がついているので、ブログ自体の文字を大きくすることは考えていませんでした。

でもそういえば文字を大きくするために私自身もスマホで二本指がうまく使えず苦労していることを思い出し、初めから表示を大きくしようと思ったのです。

どうも私も、自分はとっくに老眼なのに、読み手に文字調整してもらうことばかり考えて書いていたなあと反省しました。

(小さい文字が読みやすい方は、恐れ入りますが調整していただけたら幸いです。)


本題です。

私は誰

ここ2ヶ月ほど、ヒーリングサロンmedicine wheelのセッションも、リモート(遠隔)で受けさせていただきました。

ヒーリングさサロンもそうですが、普段なかなか会えない知人ともリモートならば顔を見て話せて、私なりに時間は有意義だと感じています。

先日のセッションの中で、「これからの半年、どう生きますか」と質問されました。ハッとしました。
数ヶ月の出来事の中、私は自分の心に向き合うことに精一杯で、半年後にどのような自分になっていたいかなどという思いは、忘れていたのです。

昨年末は、

来年のテーマでぱっと浮かんだ字は「仲」。
いろんな形で関係性を深めることを忘れずにいたいです。

そして個人的な課題は、直感を使うことと、拒絶しないこと。
様々な価値観に出会うたびにびびっている自分からの卒業です。


なんて書いていました。

今考えると、相変わらずびびっているなあと思います。
情報に埋もれ、耳にするものを鵜呑みにし、後からその意味を考えるので、消耗している気がします。
判断力がありません。知識がないからでしょうか。
知らないことが多すぎて、自分なりの考えを持つまでとても時間がかかるのです。
それまですこし不安になるので、自律神経が落ち着きません。

そういえば、直感を鍛えたいとも思っていました。
ヒーリングサロンの師曰く、

直感とは、愛から来るもの

なのだそうです。

その行為に愛があるかないかで、ものごとは暖かく感じるか恐怖を感じるか、受け取る側の印象はかわる

私はどうしても知識を基準に置いて考えてしまう癖があり(あまり知識がないのにもかかわらず)、そこも間違う要因の一つだったようです。

心が何を感じているか、もう少し意識してみようと、昨年の年末に思ったばかりでした。

最近の動揺を繰り返す自分の心を思い返すと、

どうも信念がないのではないか

そう思うようになりました。

信念がないから揺らぐのでは、ビビるのでは、情報を鵜呑みにしてしまい何が正しいのか分からなくなるのでは、そう思ったのです。

なので、今年後半をどう生きるかということを、

自分なりの信念が持てるようになる

ということにしました。

信念を持つには、知識を得ること、勉強かと思っていた私に、師がアドバイスをくれました。

尊敬する人、またはとっても好きな人に、「これだけは言ってはいけない」「これをいったら、やったら軽蔑されるから絶対やらない」と思う行いはありますか。

絶対やりたくない行為を、周りがどんな状況であっても、後から非難されても、死ぬまで理解されなくても、つらぬけますか。

例えば杉原千畝は、外交官だった時に多くのユダヤ人を助けました。当時の日本はドイツと同盟を結んでいたので、杉原氏の行為は、国を裏切る行為でした。彼は日本に帰ってからも名誉は回復できませんでした。戦時中の行為が公になったのは最近のことです

例えばある国に起こった内紛の時のように、その国を支援するために派遣されていた国連軍に撤退命令が出たら、そしてもしあなたが国連軍として派遣されていたらどうしますか。命令に背いてそのまま仲間に命令のことを伝えずに戦い続けますか。それとも、その国の人の大部分が殺されるのを分かっていて、命令だから撤退しますか。

私は答えられませんでした。
ただ、ひとつわかっていたことがあります。
ここ数年、霊的真理を学ぶようになって、私が知った自分の過去生のほとんどは、杉原千畝氏の生き方とは真逆の生き方ばかりでした。
そのほとんどの人生が、私自身だけを優先し、私利を叶えることだけを考えて生きてきたのです。
多くの人たちの思いを知らないままに。

私はもう、自分が経験してきた過去生のような生き方はしないと決めています。
自分の命も、他者の命も差別は絶対にしない、誰かを故意に傷つけたりして自分の人生を優先させるような生き方はまっぴらごめん、自分が生きるために誰も犠牲にしない、だからといって自分の人生を軽く扱うこともしない、私らしい生き方をしたいのです。

ではどのように生きるのならば、そういう生き方に向かえるのか。
大きな課題だと思いました。

そして毎日は小さな何気ないことを判断するところから始まります。


私は私と生きる、そのためには、私はどんな生き方をしたいのか、私自身を知る必要があるのだと思いました。

何気ないところの何気ない判断から、私は私自身として、いつの日も生き方を表現しているのだと感じました。

そこにいつも責任を持つ態度が必要なのだと思いました。





2020年4月10日金曜日

見えない視点からの感謝とI love you

お世話になっているヒーリングサロンで、遠隔ヒーリングのサービスがあり、
家族へのヒーリングをお願いしてみようと思い立ちました。
時世的にも、いい機会かも知れないと思ったのです。

私目線で振り返れば、今の家族となぜ今生でご縁ができたのか、過去生も含めて散々振り返ったこの10数年でした。

家族へのヒーリングをお願いして、多方面からその様子を解説していただいたことで、自分なりに学んだこと、考えたことを幾つか書き残しておこうと思います。


⭐︎気づいたこと、学んだこと

●自分も他者と同じように間違い、失敗すると認識する大切さ

物事が起きた時、それがあまりいい印象でないことであっても、その出来事を起こした一部は自分にも原因があるかも知れない、という視点はとても重要なことのようです。

自分以外の人のせいにせず、まず「もしかしたら自分かも知れない」と思って見ることは、辛いことかも知れないけれど、自分が発した言葉、行動を振り返るきっかけになり、そうした行為は自分が相手にしたことに対して責任を担う一歩になるように感じます。

(今日もそう言えばそのことを強く感じた出来事がありました。私も実にいつも、「自分は正しく生きている」と思いながら生活しているようです。汗)


●ポーズではなく本当に愛情を表現することの大切さ

誰かの上に立ちたい、そうした想いは、私自身も無意識に持っていたものでした。
いい人としてみられたい、といつも思い、そのことを目指していました。
この考え方は、
「誰かの上に立てば、なんでも正しいと思うことを行動できる」
「そして正しいことをしていけば、多くの人にいい人だと思ってもらえる」
このようなことだったと感じています。

この考え方はとても危険なことだったと、今の私は思います。
なぜなら、物事の正しさ・過ちという認識は、個人によっても環境によっても、時代によっても違い、一貫性がないからです。
私が正しいと思っても、他の環境で生きている誰かにとっては違うかも知れない。
なので物事は正しいか間違っているかで決めてはいけないのです。

以前、師から、

「物事の選び方は、そこには愛があるのかい?という視点で選ぶんだよ」と教わりました。

そこには、「自分と同じように他者を大事にする」という視点が必要になります。

「いい人と見られたい」と思うと、他者に理解を求めてしまいますが、
「いい人になりたい」と思えば、他者の視線は関係がなくなり、「自分がそのためにどう努力をすればいいか」を考えればいいとわかります。

そして、「自分と同じように他者を大事にする」という気持ちを持てば、自分の気持ちが本当に済むまで、人に尽くすことができます。
自分と同じように、というところがミソです。
自分のことも犠牲にせず、他者のことを思うのです。

自分と同じように本当に人を大事にしようとすると、いろんな思いの壁にぶつかりますが、一つ一つわかることも増えて、「自分が犠牲になっている」とか、「これ以上はやりすぎなのではないか」など、余計な思いを整理することもできるようになってきます。
(私もその道の途中ですが)
そして、本当にその人を喜ばせるアイデアが浮かんでくるようになります。

いい人にみられたい、という気持ちで他者に行う行為は、たとえ内容として親切に見えるものであっても、心が伝わりません。「いい人に見られるためのポーズ」になってしまうのです。そして学びがありません。心は何も気づかず成長しないのです。
私もここにたくさん引っかかりました。いまもひょんなことからこの地雷を踏み、悩むことがあります。道は簡単にいかない、本当に一歩ずつなのだと、心から感じています。


●自分の過ちを認めるということ

自分の過ちを認めること、人のせいに物事をしないことというのは、私にとっても難しい行いでした。
つい無意識に、自分は正しいことをした、間違えてはいない、という立ち位置から動けなくなるからです。
でも、いつまでもその位置に居続けると、人生に起こることの大部分を知らないまま過ごすことになります。
本当は自分の発言で身近な人たちが傷ついているのかも知れないのに、
感情的に口走った言葉で、せっかく近づいてきてくれた人を遠ざけてしまっているかも知れないのに、
周りから嫌われているかも知れないのに。
気づけないということは、本当のことを見ることなく、理解する力を養おうともせず、つまり心の成長をしないまま、一生を終えるということになります。

知るということは、最初はとてもつらいことでした。自分は正しいと思ってきたからです。
私にはそのことについて長い時間をかけて関わってくれた人がいました。
なので成長しない段階から少し抜けることができました。
いまも、自分の行いが誰かを傷つけたり、辛い思いをさせたことがわかると、その人への申し訳なさを感じる前に、情けなさに落ち込んでしまう自分勝手な面はあります。
また、伝え方もうまくいかないことが多いです。ここで自分の感じたことを伝えていいのか、相手の方にとってその言葉はどう伝わるのか、言う前も言った後も、言わなかった場合も、心に何かが残ります。

でも、何も知らないまま、誰も傷つけてないと過信して、大切な目の前の人を傷つけていることも想像もしないままに、変わらず言いたいことを言っている人生より、少し物事がわかってきた、かなしみの多い今の方がずっとマシな人生になったなあと感じる日々です。。
自分が間違えているかも知れないと振り返られるようになるのは、精神的な成熟さが必要なのかも知れない、とも感じています。


●自分が選んだ家族を大切に愛する

私はパートナーには今のところ出会わない人生を送ってきました。
私の家族は、父母を含め、配偶者と歩む人生を送っています。

今は、私の人生に配偶者、それに似た人が現れなかったことに対して、マイナスの思いは何も感じていません。
10年前ぐらいまでは、そのような人との出会いにまだ期待していましたが。
今の私の生活は、血の繋がった家族の他に、毎日お仕事として私を支えてくださる方々との関係性があります。
その付き合いの浅さ、深さ、十人十色のお付き合い全てが、家族的だと捉えています。
相手の方々は、それぞれさまざまな思いがあるでしょう。ビジネスライクな考え方から、少し深く関係性を持ちたいと思ってくださる方まで、いろんな思いがあるのでしょう。
それも全部含めて、あくまで私の側は、家庭的な姿勢をとりたいと考えています。

今このような時世になっても、知人、友人たちとも連絡しあえる今、私は寂しくはないし、時折感じる孤独もあっていいと考えています。

配偶者、パートナーのいる生活は、幸せでしょうか。
それぞれ感じている幸せとは、どのようなものなのでしょうか。

お互いを大事にし合っているでしょうか。

目の前の人は悲しんでいないでしょうか。
相手に心を閉ざしてはいないでしょうか。

相手を変えようとしていないでしょうか。
自分はいつも正しいと思っていないでしょうか。

本当に相手の方を理解しようとしているでしょうか。
相手の幸せそうな顔を見たいと思っているでしょうか。

私の人生と違う人生の醍醐味を、うかがってみたい気がしています。


●お互いのわだかまりに向き合う

信じられないことかも知れませんが、人はいくつもの過去生を生きて、現在に至っています。
たくさんの人生の中で違う形で出会っていたりするのです。
いいことばかりではなかったかも知れません。辛い関係性があったかも知れません。

でも今こうしてご縁ができたということは、家族というご縁の中で向き合っておきたいことがあるのかも知れません。癒しておきたいことがあるのかも知れません。
時間はあっという間に過ぎていきます。来世は再び会えるかどうかわからないのです。
わだかまりがあるのなら、今話しておいた方がいいのかも知れません。
私もあまりできてはいないことだけれども、話を聞いて理解を深めた方がいいこともあるかも知れません。
またとないチャンスかも知れないから。


●私自身の今回の学び

今回いただいた時間は、別の視点から家族ひとりひとりの過去生も含めたたましいの歴史を説明してもらい、理解する時間になりました。
本当は、このご時世の中で、私が家族にできることはなんだろうと思ったことがきっかけでした。

私目線からの縁はこの10数年間で少しずつ紐を解いて理解してきたつもりでしたが、それぞれの人生のテーマや、つまづいてきたことなどを教えてもらうことで、私と誰か、という家族の関係を離れて、魂として同じ道を目指すもの同士としての視点を与えていただいたように感じています。

そして、悩みながらここまで生きてきたことが、何千年も前からのもつれた糸を解くことになった面もあったということを今回知りました。
ほどいた糸は数本かも知れませんが、私なりに人生に向き合ってきて良かったと感じました。

私はご縁があって、今の家族の中に生まれました。
その事実はたくさんの感謝をこめて、大事にしたいと思います
つらいことも含めて、たくさんの経験をいただきました。そのなかで少しだけ物事を考えられるようになりました。少しだけですが、まだまだですが、周りの人の気持ちに思いを馳せられるようになりました。
ありがたかったなあと感じています。

そして、まだ私ができることがあったということを、嬉しく思います。

現実はうまくいかないことがたくさんあります。
私が脳性まひの障がいから逃れられないように、逃げられないもの、逃げてはいけないものを背負って人は生まれてくるようです。
そして、向き合っても逃げまくっても、どちらを選んで生きても人生としては自由、という、一生を送ります。

いつか、自分のまいた種は、自分で刈り取る日が来る、
それだけのことかも知れません。

自由に考えた人生を生きるのは素敵なことだけれど、
本当は今生で、やっておきたいことが残ってはいないでしょうか。
後悔していることがあるのではないでしょうか。

今生、家族というご縁を持ってくれたみんなが、幸せを感じる日々を過ごせるように、祈ります。
心から、本当に心から、願っています。
そう心から思えたことが、今回の学びでした。

この機会をいただけたことに、心から感謝をしております。


2020年2月24日月曜日

自分の撒いた、たねから刈っていく

一月に、気になっていたもうひとつのことは、イランとアメリカのことです。
(前々回の森林火災のことという記事の、なんとなく続きです。)

アメリカ合衆国がイランのソレイマニ司令官を殺害したというニュースは、なぜそれが起こったのかとても不安になり、気になったことでした。
その後旅客機が追撃されてしまい、二つの国がどうなっていくのか、連日考えるようになりました。

ヒーリングサロンでそのことに意識を集中した時に、自分の過去のことで分かったことは、
(ここからは話が飛びます。)

古い時代、私の過去生でマケドニアの兵士だった時があること。そこで戦争に行くことになったのですが、なんらかのことで家族(妻と娘?)が殺されていて、このときは深い恨みと怒りを持ったまま生涯を終わっています。
(私の中に浮かんできたイメージの世界なので、こういう話に抵抗がある方にはごめんなさい。)

歴史が超苦手な私は、マケドニアという、昔の時代の国名が思い浮かばずに、今の国の名前であるギリシャという言葉しか思い浮かびませんでした。
自分の持っている知識でしか理解できないということは、こういう事態なんだと思いました。

上官の命令ではありましたが、その時代にマケドニアの兵士だった私は、ペルシャ帝国に攻め入る一人となり、多くの人を殺めました。そこをこの回は癒していくことになったのです。

ちなみに、その後の時代のイランでも人生を送っていたようです。そのときはエセ商人になり、市民を騙しながら暮らしていました。
(私の遺してきたものは本当に重いです。知れば知るほど、どうしたらいいか一瞬は今でも怯みます)

今回も感じましたが、何か社会的な事件や出来事が気になった時、やはり自分の過去の行いを振り返る必要があるのだと思い知りました。

今生だけが自分の人生で、肉体が無くなったらそれで終わりと考えているうちは、まだ何も知らないということなので、過去生なんて信じなくても、ましてやどんな生き方をしていたかなどと知らなくてもいいことなのでしょう。
知らなくても許されているというか、思い出さないことは恩恵と教えていただきましたが、本当にそうなんだと思います。

物事は、あるものはいつもそこにあって、真実はいつも真実であるのだと思います。
ただものの見方は人それぞれ違いますから、一人一人真実と言うものの捉え方に差があるのも確かなんだと思います。

私の経験でいえば、過去生の体験を本当に大きな勘違いをして記憶していたということがあります。

その話はまたの機会に書くことにして、あまりごちゃごちゃ書くといっそうわかりにくくなるので、本筋に戻ります。
私が、世界や日本で起こる出来事で気になることがあるときは、やはり自分の過去の人生で遺してきたものについて修正する、機会が与えられたのでと思った方がいいようです。

ネガティブな思いもポジティブな思いも、人は生きている限り、記録としてエレメンタル(想念のようなもの)を残しながら生きているそうです。
一度作ったエレメンタルは無くなることはなく、同じ波長を持つ人に影響を与える存在としてあり続けるといいます。
そのときそのとき思った想念を作った者として、いつも世界に対してなんらかの責任はあるのだと思います。

私は多くの悪いものを撒いてきてしまったと知っているので、それをみないフリはもうできないのです。
それでもそのことを棚に上げていい人でいようとしてしまいます。
やり方もわからないのに、何かいいことをしてあげたいとすぐに思ってしまうのです。
そういう偽善的な考え方が、何度とない人生で自分の身を汚してきたというのに、人間というものはなかなか変われないものなんだなあと思います。

霊的真理の勉強の世界に入ったことは、私のそういう弱いところの大手術のためかも知れないと、こういう振り返りの機会が与えられるたびに思うのです。

少し大げさな話になってしまいました。

2020年2月21日金曜日

森林火災のこと。

今年1月にとても気になっていたことは、ふたつありました。そのひとつは、オーストラリアの森林火災です。

オーストラリアで、昨年8月ごろから最近まで森林が燃え続けていました。
火災の原因は様々なことが考えられているようです。
この火災で焼死した動物は一億匹以上と言われています。コアラのかわいそうな映像は日本のニュースでも流れていましたが、なくなった動物たちは多種にわたっているようで、よく頭に入れられないまま書いていて申し訳ないのですが(資料を参考にして書くのが本当に苦手です。つくづくライターは向いていないようです)、絶滅の危機に追い込まれた種もあるようです。。
豪雨によって大部分の火は収まったと伺っています。。
(参考にしたサイト https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-51171501)

なぜこんなにも長い期間、火災が消えないのか、なぜこんなにも被害が大きくなっているのか、先月はそれが気になって頭から離れませんでした。

そんな時にヒーリングサロン medichnewheel を訪れる日になり、その時間を使って、気になることに取り組んでみました。

ここからは、私の過去生のことになり、スピリチュアル的な色が濃くなります。
お好きな方だけ読んでくださいね。

また、私は歴史が超弱いです。ものすごく勉強不足です。
なので、歴史の解説はここでは書きません。
私のその日見た(感じた)体験に留めます。
お目汚しになる文章かも知れません。申し訳ないです。

遠い昔、オーストラリアがイギリスの支配下だった頃、私の過去生の一つにイギリス人だった時があるようでした。オーストラリアで、囚人を管理することをしていました。
その時の行いを振り返り書き直していく時間になりました。

私は自分の立場を利用して、悪事を働いていたようです。その事実を認識し、被害にあった方々に謝罪をし、本来はどのような世界だったら良かったのか、良いイメージを膨らませます。
過去生の私(このときは男性)に改心を求めましたが、聞き入れてくれませんでした。

これ以上書くのは控えますが、私の数多くの過去生は、私自身も受け入れがたいものばかりです。
多くを人に加害しています。
ひとつひとつの過去生を知り、向き合っていくことは、正直しんどいことでした。
時には感じないようにし、何もなかったように振る舞いたくなることもありました。

でも、あったこと、あること、知ったことをみないようにすることで、物事は何も解決しないということを、この10年あまりの時間の中で知ることができました。

私がたとえ、なかったことにしても、起こった事実はそこにあり、被害に遭われた方は、今も何かしらの影響を受け、苦しまれているのかも知れません。

もちろん今生の私は、法に触れることは何もしてないし、感情が暴走したとしてもせいぜい怒鳴るぐらいで、犯罪には結びつかないであろうからだを持ち、生活する日々です。

そして、過去生なんてない、魂が永遠なんて嘘、いくつもの人生を生きてきたなんて、信じない、という人生を生きるということはできるのかも知れません。

でも、今の私は、
いろんなことを知っています。
知らないふりなどできません。

特に、自分の過去生の行いについては、できる限り今向き合っておきたいという気持ちもあります。
なぜなら、せっかく自分から思い出したことだからです。

人は、肉体の死を迎えた後、次の人生に生まれる時、ほとんどの場合記憶をリセットして生まれてくるようです。
よほど心の成長を果たし、過去の記憶を留めて置けるほどの心を持てれば別ですが、
残念ながら私はまたまだ幼稚園児のような成長度合いのようなので、今、知識があるうちに、自分の中の真実と向き合っておきたいのです。
そして一つでも多くのことを考え、感じておきたいという思いが消えません。

話が横道にそれましたが、ヒーリングの手法を使って過去生と向き合う時間を、今回も過ごすことになりました。
やはり自分の問題がそこに残り、ネガティブな作用の一部になっていたことを知りました。

人は誰も、世界と無関係ではないし、人類の過去とも無関係ではない、残したものがいいものかも知れないし、悪いものかも知れない、なんらかの記憶をその場所に残して、生まれ変わっていくということを、今回も知ることになりました。
オーストラリアのために、少しでもエネルギーを送らせていただけるなら、などと、こころのどこかで思っていた私は、本当に傲慢でしかなかったと、思います。



2020年2月17日月曜日

心のメンテナンス

先日、月一回のペースでお世話になっているヒーリングサロン medicinewheelで、個人セッションを受けてまいりました。

今回は、行く前から、「自分の心をどうにかしないと」という気持ちがありました。

ある出来事をきっかけにして、心が大きく揺れていたのです。

ここ一年ぐらいは、体を痛めたり波はありましたが、それほど大きく心が揺らいだことはなかったように思います。いつもその日できることを粛々とやって、気持ちはネガティブになる日があっても、前を向いてきたと思います。

ここ何日かはそれができず、不安に苛まれてしまったのです。

そこに向き合う時間となりました。

整理できたことは、次のことでした。

●物事はなんであっても現状維持とはいかないし、有限であるということ。
私は今、生活全般に不満はなく、自分のやりたいことをできている状態だと思います。ただ、その状態が崩れることを極端に恐れ、怖がっている気がしています。
物事はいつも形を変えていくし、予期しないことは起こるし、それを避けることはできないということを、頭のどこかではわかっているのに、受け入れていない気がしました。
自分の生活の根幹の部分でさえ、その環境が形を変えていくことがあるということを、フラットに捉えていった方がいいんだと今更ながら気づきました。
変わっていくのは当然のこと、怖がるのではなく、変化を体験していくのだと思いました。

●自分に、いい意味でのプライドを持つということ。
私が生きてきたことに誇りを持って生きること。私は正直に言うならば、自分の過去生に圧倒されていたように思います。何か、今の自分とつながってしまって、自分の存在さえ信用できなくなっていたように思います。
「プライドは大事」とアドバイスをいただいた時、いい意味のプライドを大事にするとはどういうことだろうと、考え始めました。

●その場に置かれた当事者として、権利を守るということ
人としてその人生を生きる時、自分の生きる権利を守ることは大事なことだということを、改めて言っていただきました。
ただ、どのようにしたらいいのか、まだ迷っています。
考えるヒントとして、
・ 第二次世界大戦中のドイツのように、ユダヤ人に対して国家が迫害を決めた時、そこに住むユダヤ人ならばどうするか。
・ では他国の人、例えばアメリカ人だったらそのことをどう感じるか。
・ 私が抱えている問題、障がいがある立場の問題もそのことにすこし似ているのではないか。

ではどのように考え、行動していくのか、考えていく必要があります。

●自分一人の視点から物事を考えるのではなく、自分と似たような経験をしている100人
 の人たちのことを思い、自分に何ができるか考えること。
自分一人の問題として考えるのではなく、自分と同じような障がい(同レベルの体の動き等)のある人たちに焦点を当てて、その人たちに何ができるのかを、自分の体を通して得た経験から考えていく。
自分より障がいの軽い人の辛さや気持ち、重い人の辛さや気持ちは、実際には体験していないから推測しかできない(障がいあればみんな同じ辛さや気持ちを感じるるわけではないから)けれど、自分と似たような人たちのことならば自分を通して体験しているから体験談を話すことができる。(同じように感じることはないということも含めて)

●愛のない言葉には恐怖を感じるだけだということ
今回私が一番ダメージを受けていたのこの部分でした。ある人のある文章の一部分の言葉が、心に刺さってしまったのでした。
結局その言葉は、自分が大変になるからみんなどうにかしてくれ、という、自分の恐怖に焦点を置いただけの言葉だったようです。
そのことは私も理解していたのですが、読んだ途端ものすごく自分が何もしてこなかったような気持ちになり、はやる気持ちが抑えられなくなり、未来への不安が生まれました。
どうにもできなくなった時、少し、不安と悲しい気持ちを、泣くことで解消しました。
感情を表に出したときに、浮かんできた疑問は、「私の今までの行いは間違っていたのだろうか」というものでした。
ここ十年強、私は私なりに自分と向き合う人生を送ってきました。拙いながらも、そこでは自分なりの努力は惜しまなかったつもりでした。
なので、精一杯だった、という結論になり、そう思えたとき、いくぶん気持ちが和らいだのでした。
この経験を考えていたときに、「愛のない行為は恐怖だけ」と教えていただきました。
「愛があれば、その言葉からは恐怖なんて感じないで、この人と一緒に何かやりたいという気持ちになるはず」
この会話の時、私もこうして数年前まで周りに恐怖をばら撒いていたんだな、と自覚しました。以前の自分のような人が、自分のやってきたことを見せてくれたのだと思いました、こういう出来事のことを、自分を試されるという意味で「お試し」と呼んでいるのですが、今回はこのお試しに、振り回されてしまった自分がいたようでした。
後戻りのないように、日々奢らず生活していこうとつよく感じました。

話しながら涙が止まらず、顔がグショグショになりました。

後半の瞑想を体験しながら、ああやっぱり、経験したことや感じたことは書いてみよう、とふと思えました。
私の日々の経験はプライスレスで、この経験を言葉に残した方がいいと、やっと思えたのです。
文章は書くほどに表現できず難しく、自分のことばかり書くようで抵抗感を持つようになってしまったのですが、経験談や感じたことだけを背伸びしないで書くことは大事なことかもしれないとふと思ったのです。

変わっていく身の回りのことを残すことは、一緒に過ごしてくれた方々への感謝の言葉になるのかも知れない、
私が受けた福祉制度や社会の仕組みからの恩恵と、課題の記録になるのかもしれない、
ある日は問題提起になるのかも知れない、
傲慢のようでもありますが、書くことに対しての意義をそのように感じ、ようやく書いてみようと思えたのでした。
いつまでこの気持ちが続くか自分でも不明ですが、努力していこうと思います。

2時間半のひとときの時間で、こんなに気持ちが変わることも発見でした。
いい時間を過ごさせていただいたことに感謝いたします。


新しい家での暮らし

 しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...