2019年1月8日火曜日
年があけて みた映画
ぼくと魔法の言葉たち
自閉症と診断された主人公と家族のドキュメンタリー映画。
家族で向き合うという姿に、ああ、こういう風に誠実にすればいいんだ、と教えてもらったように思います。
「コミュニケーションが取れなくなった息子(弟)を取り戻す」
この考え方は素敵だと思いました。
人が他者の世界に焦点を合わせて、その人の世界を理解しようとするということは、その人のことを大事に思うからできることなんだなあと改めて思いました。
アマゾンプライムで偶然探した映画だったけれど、また最初から見たい気持ちです。
ご両親もお兄さんも、暖かい人たちと印象でした。息子の行動や思いにいつも真剣に答えようとするなんて、家族として真剣だし、本人も自立について真摯だと感じました。。
わが母の記
樹木希林が母役で好演する映画。井上靖の原作のものです。
一度見たように思うのですが、その時はきちんと見ていなかったようで、初めて見るように展開が新鮮でした。
印象に残ったのは、認知症になったお母さんと、憤りや戸惑いを感じながら家族として暮らしながら、それぞれが心の幅を広げていく感触を感じられたことでした。
樹木希林さん、よかったです。
こんな夜中にバナナかよ
同名のノンフィクションが原作のもの。大泉洋主演。
本はまだ読んでいないので、映画のみの感想です。
大泉洋、笑ってしまうぐらい「ワガママ」さを好演していました。
高畑さんもよかったです。
印象としては、ああ、こんなに障害当事者と関わる側の気持ちはズレるんだなあ、というものがありました。私は自分の立場を重ねながら見てしまうので、介助をうけながせらの生活を外から冷静に見させててもらったような感じです。
ボランティアの方が書いた本が原作なので、ボランティアの目線から映画が作られているように感じました。だから自分と大泉洋さんの演じる主人公の気持ちを重ねられたように思います。
主人公の、親に対する思いなどは、共感したのか涙が出ました。ところどころなんだ泣けました。でも、いい意味で、介助に関わる方の気持ちや人生観を見せてもらったように感じています。
2019年1月4日金曜日
うるち米を50 %まぜたおもち
お正月は、お餅が恋しくなります。
やきもちやお雑煮を食べたくなるからです。
私は少し若い時はどんなお餅も食べられたのですが、この十数年は市販のお餅をうっかり食べられなくなりました。
噛んで飲み込むという一連の作業を、気をつけて行わないとタイミングが合わなくなったのです。
噛んでから飲み込む、これが自然にできていたころは、意識しなくてもなんでも食べることができました。
脳性麻痺特有の不随意運動(アテトーゼ)が、成人年齢を過ぎた頃から強くなり、噛んでる途中から口内で飲み込もうとする動作が重なるようになり(そのように感じてしまっています)、自分でコントロールすることが難しい時が出てきたのでした。
飲み込む力が落ちたわけではなく、噛む力がなくなったわけではなく、タイミングが合わないのです。
お餅や、ツルッと咽喉に流れてしまうものに関しては、そういう理由で安易に食べられなくなりました。
思いがけず咽喉に流れてしまうと、咽喉や体がびっくりしてしまうからです。
それでも、お正月にお餅が食べられるのは、実家で、餅米とうるち米を混ぜたお餅を作ってもらっているからです。
うるち米を50%もち米にまぜてついてもらうだけで、もち米の粘りが緩和されて驚くほど食べやすくなります。
普通のお餅はどんなに小さく切っても、粘りはあるので飲み込む怖さは消えません。
この粘りが美味しい要素だと思うので、普通のお餅を好きな方には、私が作ってもらうお餅は物足りないかも知れません。
ただ、慎重に普通のお餅を小さく切ってもらって食べたり、または食べられなくなったと諦めるよりも、粘らないこのお餅を美味しく食べてお正月を過ごせることは、ありがたいなあと思っています。
世間ではこのお餅を「ごんだもち」と言い、調べてみると、北陸、とくに富山で作られていたもののようです。
茨城のお餅だと思っていたのですが、ネットでは茨城の資料は見つけられませんでした。
お餅が食べられなくなったり、食べたいけれど飲み込みが怖くなった方も、もしかしたらたべられるおもちかもしれません。
やきもちやお雑煮を食べたくなるからです。
私は少し若い時はどんなお餅も食べられたのですが、この十数年は市販のお餅をうっかり食べられなくなりました。
噛んで飲み込むという一連の作業を、気をつけて行わないとタイミングが合わなくなったのです。
噛んでから飲み込む、これが自然にできていたころは、意識しなくてもなんでも食べることができました。
脳性麻痺特有の不随意運動(アテトーゼ)が、成人年齢を過ぎた頃から強くなり、噛んでる途中から口内で飲み込もうとする動作が重なるようになり(そのように感じてしまっています)、自分でコントロールすることが難しい時が出てきたのでした。
飲み込む力が落ちたわけではなく、噛む力がなくなったわけではなく、タイミングが合わないのです。
お餅や、ツルッと咽喉に流れてしまうものに関しては、そういう理由で安易に食べられなくなりました。
思いがけず咽喉に流れてしまうと、咽喉や体がびっくりしてしまうからです。
それでも、お正月にお餅が食べられるのは、実家で、餅米とうるち米を混ぜたお餅を作ってもらっているからです。
うるち米を50%もち米にまぜてついてもらうだけで、もち米の粘りが緩和されて驚くほど食べやすくなります。
普通のお餅はどんなに小さく切っても、粘りはあるので飲み込む怖さは消えません。
この粘りが美味しい要素だと思うので、普通のお餅を好きな方には、私が作ってもらうお餅は物足りないかも知れません。
ただ、慎重に普通のお餅を小さく切ってもらって食べたり、または食べられなくなったと諦めるよりも、粘らないこのお餅を美味しく食べてお正月を過ごせることは、ありがたいなあと思っています。
世間ではこのお餅を「ごんだもち」と言い、調べてみると、北陸、とくに富山で作られていたもののようです。
茨城のお餅だと思っていたのですが、ネットでは茨城の資料は見つけられませんでした。
お餅が食べられなくなったり、食べたいけれど飲み込みが怖くなった方も、もしかしたらたべられるおもちかもしれません。
2019年1月1日火曜日
2019年の生き方
今年は、できる限り心を育てていきたいと思います。
背伸びせず、等身大を意識し、自分として生きるとはどういうことなのかを理解したいです。
何者ではない、私という心を意識して、育てていきたいです。
自分を大切に、同じぐらい目の前の方を大切に、愛していくということを身につけられたらと思います。
中庸な心持ちをだいじに、tension with no tension (緊張しないで意識する)ということを胸に留めて、努力していこうと思います。
悪い部分も私だから、自分を否定せずに、美徳となる部分だけを育てられるように心がけてやってみます。
いつか本当に、人様の役に立つ人間になれますように。❤️
背伸びせず、等身大を意識し、自分として生きるとはどういうことなのかを理解したいです。
何者ではない、私という心を意識して、育てていきたいです。
自分を大切に、同じぐらい目の前の方を大切に、愛していくということを身につけられたらと思います。
中庸な心持ちをだいじに、tension with no tension (緊張しないで意識する)ということを胸に留めて、努力していこうと思います。
悪い部分も私だから、自分を否定せずに、美徳となる部分だけを育てられるように心がけてやってみます。
いつか本当に、人様の役に立つ人間になれますように。❤️
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新しい家での暮らし
しばらくぶりの更新です。 9年間住ませていただいた古い家と別れて、春から新しい家での生活が始まりました。 小さな一軒家。築50数年だそうですが、全リフォームしてある家です。 南側には大きなひさしがあり、玄関からは出入りできませんが、キッチン側の大きな窓が地面から低い位置にたまた...
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こんにちは、久方ぶりの投稿です。 年も明けて今日は立春。すっかりブログはサボってしまいました。 近況ですが、 東京大学のREDDY での連載が最終回を迎えました。 無事に10回掲載していただけたことを、心から感謝いたします。 連載記事は下記にまとめてみました。興味を持っていただ...