今月のヒーリングサロンでの個人セッションでは、前から気になっていたことに取り組むことにしました。
なんとなく、感じてはいたのですが、ここ何週間で明確に感じるようになったこと、
ある人と会うことで、数日後に体調を崩すことが多いと言うこと。
もともと自律神経が弱く、更年期になってからそれが頓着になって、ストレスがそんなにないと思われる日々を過ごしていても、頭痛が酷かったりする日もあって、
老化というものは、今までの感覚からでは判断できないことが多いものだと感じていました。
気づいたきっかけは、コロナ禍の中でつけるようになった、体温の記録を見た時でした。
その日にどこに行ったか、長い時間一緒にいた人は誰だったか、簡単に毎日記しているのですが、
どうも、あることの後数日後に、自律神経のバランスを崩しているらしい、ということに気がついたのです。
その日の夜セルフヒーリングに取り組むと、確かに、そのかたのイメージが。それも、私を恨んでいるというか、私をお嫌いらしいのでした。
思い当たるできことはありまして、私もその時分、今よりもっと人間的に浅はかで力量不足ということもあり、相手の方が求めることを差し上げることができませんでした。
その時のことは今も心に残っているのですが、どうにもならないまま今日まで持ち越してはいました。
気がついただけでも良かったと思いながら、その日の晩はセルフヒーリングで出来る限りのことは行ったのですが…。
私の感じたことは果たして本当だろうかという疑問が残りました。
見えない部分での人との関係は自分の感性だけが頼りです。確かに表面的にも嫌われているということは、そのかたも態度に出しているので理解できるのですが、実際自分の調子を崩している原因として考えてしまうのは危険なのではないかと感じていました。
個人セッションの日、事情を話すと、師は、ただ、その人がどんな人であるかを説明してくれました。
私が感じたことがあっているか間違っているかという答え合わせではなく、その人の性格を踏まえて、私がなぜ彼女の思い(念)を受け取ってしまったかという説明をしてくれたのです。
私はその方に対して、もしかしたら助けられたのに助けられなかったのではないかという思いを引きずっていました。それは罪悪感でした。
いろんなことを考え合わせると、本当に私にはできないことだったし、力量不足でできませんと答えることは、当時の私にとってできることでした。
なのに心のどこかでは、本当に何もできなかったのか。しようとしなかっただけなのではないかと、自分を責めていたところがありました。なのでそういう私の罪悪感とその方の被害者意識の波長が合い、私はその方の思いを受け入れてしまっていたのでした。
罪悪感というものは、相手の方を加害者にしてしまいます。無意識の中で。
今回、それを学びました。私がこのことに関係する思いを手放せば、日々の体調も改善し、相手のかたを意識しなくてもすみます。
私も体調を崩すなど思いもよらないところで支障が出てしまったけれど、相手の方も実は私の姿を見るたびに、気まずいことを思い出して嫌な気持ちになっていたのかも知れません。
本当は顔を合わせないで過ごすことができたら、お互いに良いのでしょう。
罪悪感といえば、昔勤めていた職場に対して、運営状態が大変なことを知っていながら退職してしまったことに罪悪感をずっと持ち続けていたようです。
障がい者福祉の分野は私の生活に密着していることなので、いろんな面で、話が耳に入り、一喜一憂してきました。
でも、今回の個人的な出来事が契機となり、ああ、この焦燥感も罪悪感から来ているんだと自覚できました。
私はもっと仕事ができたはずなのに、しなかった、してこなかった、しなくてはいけなかったのではないか、という思いは、
できなかった原因が力量不足や、不向きだったということを忘れて、もっとできるぐらいの力量があったのではないかと思いたい傲慢さが元になっているように思います。
罪悪感というのは、傲慢さなのかも知れないと思いました。
私は、仕事をやめた時、自分の力量の現実を知ったのでやめたのです。
その感覚に嘘はなかったのです。当時悪化した体調も、それを教えてくれていました。
私は罪悪感を手放しました。そして、自分にできることをせいいっぱいやり続けようと改めて思いました。