今月はあまりこのブログも書けないまま、時を過ごしてしまいました。
今月は体験から学んだことが多く、身体を整えることも難しかった月でした。
でも振り返ってみると、どうやって過ごしていたんでしょう。
月の最後に感じていることは、背伸びをして良い人間になろうと思っても、偽善のままでいい方向にはいかないということ。
ひとつひとつ、これは本当にやりたいと思っていることなのか、自分の心と対話して、自分のペースで行動していくことが、近道なのだと感じました。
そして、自分の過去の行いで引き起こされたことは、頭の隅から決して消さないでおくこと。これは本当に大事なことだと感じました。
どんな些細なことでも、日々の出来事は生き方を見直したり考える機会をくれるもの。これも今回感じたことでした。
あっという間に過ぎた5月。でも思い起こすと、心に少し重石をくれた月でもあったように思います。
なんだかとても抽象的。頭が回っていなくて、わかりにくいまとめでした。
2018年5月31日木曜日
2018年5月13日日曜日
鬼太郎の世界
毎週日曜日はワンピースを見ながら新聞を流し読みするのが、習慣になっています。
新聞は3年間取っていましたが、読むのが追いつかなくてしばらく契約をお休みすることにしました。全部読めないし、読めないものをとるのもなんだかもったいない気持ちが強くなりました。あとしばらくの新聞のある暮らしです。
改憲の話が出た時、平和主義の自分の心をいさめるために、つまりもう少し知識を得て、憲法をかえるという国の考えを知りたくて取り始めた新聞でした。最近は優生保護法について詳しかったので、たすかりました。
話が逸れましたが、ワンピースの前にドラゴンボールが放送されていた時間に、「ゲゲゲの鬼太郎」が新番組として始まりました。
水木さんが亡くなった後に、どんなアニメになるのかとても気になっていたので、ここ3回ぐらい見ています。
なかなか、いいと思うのは、いつも人間の子供との接点があることです。
妖怪の世界を別世界にするのでなく、鬼太郎と人間の子供の誰かが毎回関係を持つのです。その感じが、現実がいつもそこにあるというリアリティになっているような気がします。
今日の、大人の怪談の世界と、子供のネット世界でのいじめを繋げたのは見事でした。
鬼太郎だから言えることがあり、鬼太郎に言わせることがあるのだろうと思いました。
友人と見ていて、子供も大人も鬼太郎は観れるといいね、と話しました。
作者が関われないぶん、さまざまなことが起きても、ぶれずに作られることを祈っています。
もちろんワンピースもめちゃいいです。作者の世界観に圧倒されながら観ています。
新聞は3年間取っていましたが、読むのが追いつかなくてしばらく契約をお休みすることにしました。全部読めないし、読めないものをとるのもなんだかもったいない気持ちが強くなりました。あとしばらくの新聞のある暮らしです。
改憲の話が出た時、平和主義の自分の心をいさめるために、つまりもう少し知識を得て、憲法をかえるという国の考えを知りたくて取り始めた新聞でした。最近は優生保護法について詳しかったので、たすかりました。
話が逸れましたが、ワンピースの前にドラゴンボールが放送されていた時間に、「ゲゲゲの鬼太郎」が新番組として始まりました。
水木さんが亡くなった後に、どんなアニメになるのかとても気になっていたので、ここ3回ぐらい見ています。
なかなか、いいと思うのは、いつも人間の子供との接点があることです。
妖怪の世界を別世界にするのでなく、鬼太郎と人間の子供の誰かが毎回関係を持つのです。その感じが、現実がいつもそこにあるというリアリティになっているような気がします。
今日の、大人の怪談の世界と、子供のネット世界でのいじめを繋げたのは見事でした。
鬼太郎だから言えることがあり、鬼太郎に言わせることがあるのだろうと思いました。
友人と見ていて、子供も大人も鬼太郎は観れるといいね、と話しました。
作者が関われないぶん、さまざまなことが起きても、ぶれずに作られることを祈っています。
もちろんワンピースもめちゃいいです。作者の世界観に圧倒されながら観ています。
2018年5月11日金曜日
気づいていくもの 剥がしていくもの
コールデンウィーク、特別な用事もお遊びの予定もなく、普通に過ごしました。
その中で、知人とやり取りをしながら、気づいたことがあります。
私が通っていたヒーリングスクールは、スピリチュアルリズムとグノーシス(霊的真理)の教えに基づいたものでした。
その中に、自分のエゴイズムに気づき、手放していくこと、と言うものがあります。
エゴイズムというのは、ネガティブな思いや考え方の塊といえばいいでしょうか。
エゴイズムに気づき、それが自分ではないと認識して自分の行動を変えていくことが、自分の成長に繋がると言われています。
私は、つい最近まで、このエゴイズムに自分が取り込まれないように気をつけないと、と思っていました。
エゴイズムというのは、自分の欲から生まれるものですから、それ自体には愛は含まれないように思います。なのでこのエゴイズムに基づいて行動してしまうと、とても自分本位で冷たい行動になってしまうのだと思います。
私は自分の過去生と向き合った時に、人の気持ちを考えないで生きて来た人生ばかりだったことを知ることになりました。もう二度と同じような人生を送りたくないと思いました。
なので今もこの勉強を続けています。
知人とのやりとりで、気をつけることではないということに気がつきました。
物事は気をつけるだけでは、というか、気をつけることではいけないんですね。
気づくことが大切なんですね。
気づくためには、観察が必要。
観察力は、興味から始まるように思います。
毎日毎日、何かに気がついて、自分の欲望の皮を剥いでいくことが大切なんです。
エゴイズムに、つまり自分の欲や自分本位の考えに取り込まれるのを予防するのではなく、常に新しい欲があることに気がついていけばいいということです。
そうして人生は進んでいくものかも知れないと、思ったのです。
その中で、知人とやり取りをしながら、気づいたことがあります。
私が通っていたヒーリングスクールは、スピリチュアルリズムとグノーシス(霊的真理)の教えに基づいたものでした。
その中に、自分のエゴイズムに気づき、手放していくこと、と言うものがあります。
エゴイズムというのは、ネガティブな思いや考え方の塊といえばいいでしょうか。
エゴイズムに気づき、それが自分ではないと認識して自分の行動を変えていくことが、自分の成長に繋がると言われています。
私は、つい最近まで、このエゴイズムに自分が取り込まれないように気をつけないと、と思っていました。
エゴイズムというのは、自分の欲から生まれるものですから、それ自体には愛は含まれないように思います。なのでこのエゴイズムに基づいて行動してしまうと、とても自分本位で冷たい行動になってしまうのだと思います。
私は自分の過去生と向き合った時に、人の気持ちを考えないで生きて来た人生ばかりだったことを知ることになりました。もう二度と同じような人生を送りたくないと思いました。
なので今もこの勉強を続けています。
知人とのやりとりで、気をつけることではないということに気がつきました。
物事は気をつけるだけでは、というか、気をつけることではいけないんですね。
気づくことが大切なんですね。
気づくためには、観察が必要。
観察力は、興味から始まるように思います。
毎日毎日、何かに気がついて、自分の欲望の皮を剥いでいくことが大切なんです。
エゴイズムに、つまり自分の欲や自分本位の考えに取り込まれるのを予防するのではなく、常に新しい欲があることに気がついていけばいいということです。
そうして人生は進んでいくものかも知れないと、思ったのです。
2018年5月1日火曜日
5月の生き方
五月は、
怠けないこと
人との関係を楽しむこと
正しい自己愛を理解すること
でしょうか。
日々起きることに不動であること、
自分の感情に注目せず、他者の感情に注目すること。
これは本当に揺らいでしまいがちなので、意識しようと思います。
外に評価を求めてしまうくせは、なんとか直したいですね。
怠けないこと
人との関係を楽しむこと
正しい自己愛を理解すること
でしょうか。
日々起きることに不動であること、
自分の感情に注目せず、他者の感情に注目すること。
これは本当に揺らいでしまいがちなので、意識しようと思います。
外に評価を求めてしまうくせは、なんとか直したいですね。
四月のまとめ
春が足早に花開いた今年の四月は、友人と会い、ちいさな挑戦をし、静かですが動きのある月でした。
感じたことを感じたこととして心に残し、考えるという流れを実感しました。
まだまだ自分の感情に流され、周りが見えなくなりがちですが、意識するのと全く意識しないのとは違うと思えました。
ヒノキの花粉症がひどくて、体調管理に手を焼きました。
毎週行っているプールのスクールが4月はまるまるお休みなので、そのぶん体調を整えるのは毎年難しい月です。
そのぶん友人に連絡を取り、時間をもらって一緒の時を過ごせました。
自分の心には未だ幼稚な部分が多く、思うように物事を動かしたくなってしまうようです。
日々の端々にそんな自分を発見しました。
また、他者の強さに圧倒されて、媚を売ろうとする癖も改めて発見しました。
一人一人に起きることはそれぞれであることから、本当に自分の人生は個人レッスンだということを実感しました。自分の人生から逃げないで生きようと思えました。
日々自分でやると決めたことは行なっていましたが、どうしても、働いていないイコール何もやっていないという自己評価になってしまいがちでした。
つまり、人の評価を求めていたんだと思います。もっとできることがあるのではないか、何もやっていないのではないかという思いは、何もしていないと周りに見られているのではないかという思いでした。
誰も見ていないようでも、認められていなくても、自分の人生でやろうと思ったことはきっちりやり、見返りを求めないということは、私自身にとって精神的な訓練になるんだなあとは思いました。でも、どうしてもどこかで誰かに褒められることを求めてしまっているようです。
このくせは、自分を特別に思いたい、できる人と思われたいという考えの名残なのかもしれません。
4月に受けたヒーリングの個人セッションで、教わったことがありました。
行動を制限されているということの意味です。
たくさんの過去生の中で、私は何も考えないまま行動に走り、たくさんの罪になりました。今回行動を制限されたのは、感じて考えることを優先させるという意味がありました。
最近、関連して気がついたことがあります。
たとえ、今の体でできることであっても、自分本位に動いてはいけない。
相手の立場を思い、今その人のことを思ってできることを考えて行う必要があるということです。
そういう目線は、自分を認めて欲しい、見て欲しいという自分中心の目線を止めることであり、自分の置かれている状況に対しての愛情表現をすることでもあります。
自分を忘れ、周りにできることをするということは、私自身のあり方を表現することでもあるのです。
それが私にできる生き方なのではないかと、思いつきました。
私が今できることを大事にして、自分が自分を認められるようになれればと思います。
今日読んだ本に、
自分を信じることと、自分を正しいと思うことは違う。自分を正しいと思ってしまうと、その正しさを人に押し付けてしまう。
という意味の言葉がありました。
私は自分が正しいと思って生きてきたところがあるので、人にその想いを伝え続けていた頃がありました。
私に今必要なのは、信じることなんだと思いました。人がどう評価するかではなく、自分を成長できる人間だということを信じて生きることが大切なんだと思いました。
感じたことを感じたこととして心に残し、考えるという流れを実感しました。
まだまだ自分の感情に流され、周りが見えなくなりがちですが、意識するのと全く意識しないのとは違うと思えました。
ヒノキの花粉症がひどくて、体調管理に手を焼きました。
毎週行っているプールのスクールが4月はまるまるお休みなので、そのぶん体調を整えるのは毎年難しい月です。
そのぶん友人に連絡を取り、時間をもらって一緒の時を過ごせました。
自分の心には未だ幼稚な部分が多く、思うように物事を動かしたくなってしまうようです。
日々の端々にそんな自分を発見しました。
また、他者の強さに圧倒されて、媚を売ろうとする癖も改めて発見しました。
一人一人に起きることはそれぞれであることから、本当に自分の人生は個人レッスンだということを実感しました。自分の人生から逃げないで生きようと思えました。
日々自分でやると決めたことは行なっていましたが、どうしても、働いていないイコール何もやっていないという自己評価になってしまいがちでした。
つまり、人の評価を求めていたんだと思います。もっとできることがあるのではないか、何もやっていないのではないかという思いは、何もしていないと周りに見られているのではないかという思いでした。
誰も見ていないようでも、認められていなくても、自分の人生でやろうと思ったことはきっちりやり、見返りを求めないということは、私自身にとって精神的な訓練になるんだなあとは思いました。でも、どうしてもどこかで誰かに褒められることを求めてしまっているようです。
このくせは、自分を特別に思いたい、できる人と思われたいという考えの名残なのかもしれません。
4月に受けたヒーリングの個人セッションで、教わったことがありました。
行動を制限されているということの意味です。
たくさんの過去生の中で、私は何も考えないまま行動に走り、たくさんの罪になりました。今回行動を制限されたのは、感じて考えることを優先させるという意味がありました。
最近、関連して気がついたことがあります。
たとえ、今の体でできることであっても、自分本位に動いてはいけない。
相手の立場を思い、今その人のことを思ってできることを考えて行う必要があるということです。
そういう目線は、自分を認めて欲しい、見て欲しいという自分中心の目線を止めることであり、自分の置かれている状況に対しての愛情表現をすることでもあります。
自分を忘れ、周りにできることをするということは、私自身のあり方を表現することでもあるのです。
それが私にできる生き方なのではないかと、思いつきました。
私が今できることを大事にして、自分が自分を認められるようになれればと思います。
今日読んだ本に、
自分を信じることと、自分を正しいと思うことは違う。自分を正しいと思ってしまうと、その正しさを人に押し付けてしまう。
という意味の言葉がありました。
私は自分が正しいと思って生きてきたところがあるので、人にその想いを伝え続けていた頃がありました。
私に今必要なのは、信じることなんだと思いました。人がどう評価するかではなく、自分を成長できる人間だということを信じて生きることが大切なんだと思いました。
2018年4月27日金曜日
旧優生保護法が残したもの
1996年に母体保護法に変わった旧優生保護法に基づいて、多くの人が本人の意思確認なしに強制不妊手術をさせられた事実が、今明るみになりつつあります。
毎日新聞は連日、裁判のことや、実際に被害に遭われた事実などを書いてくれていて、本当にあったんだということを教えてくれています。
熟読はできていなくて、レポートのように書けないけれど、このブログでも少し触れてみたいと思いました。
1948年にできたこの法律の下で行政が、障害を持った人の不妊手術を、その家族も巻き込んで積極的に進めていた事実が相当あったことを知ると、それを免れた私は運が良く、周りに恵まれていたと思わざるを得なくなります。
新聞によると、北海道や宮城などでは、不妊手術を断った家族を説得したとあるそうです。
在日している外国の方も対象になり、手術をさせられた事実があるそうです。
また、最近の記事では、家が貧しいなどの理由で、明らかに障害がないと思われる人も施設に入っていたようで、その人たちも不妊手術をさせられたということが書いてありました。
優生保護法は、遺伝性だと思われる疾患を不良なものとし、不良な子孫を残さないためにという目的で、その疾患に当てはまる人は本人の承諾なしで不妊手術ができる、と定めたものでした。
もともと刑法の堕胎罪がある日本では、この優生保護法の経済条項がないと、女性が自分の意思で中絶できないという問題があります。刑罰が適用されてしまうからです。
今は優生保護法は母体保護法に変わり、不良な子孫を残さぬための…という言葉は無くなりました。
遺伝と思われた疾患名を羅列していた別表も無くなりました。
ハンセン氏病は、遺伝性ではないのにもかかわらず、この優生保護法にかかれ、多くの人たちが不妊手術をさせられたと伺っています。
被害を受けた方々が訴訟を起こし、多くのことが今明るみになろうとしています。
私も15歳の時、ほんのひとことではありましたが、人から、子宮をとれば、と言われたことがありました。二度と言わないで、と私はその場で言えましたが、新聞を読めば読むほど、圧力を受けながらたくさんの人たちが手術をさせられたことを知ります。
私は一言だけ、一回だけでしたが、今でも心に残り続けています。
多くの人に支えてもらう生活を続けていると、時折何もなくても、この生き方で生きていいのかと、深い穴の中に入ってしまうことがあります。そういう時は、どのような人でも支え合って生きているのだから自分も人と変わらない、ということを自分でも忘れてしまったりします。自分自身を大事にすることも、人間として必要なことということを忘れてしまったりするのです。
きっと、自分の体を使って自分のことをできる人たちも、私が陥るような自分だけの視点の穴を、たくさん持っているのは変わらないことなのでしょう。ものを見ていないと、その穴は罠のようにやってくるように思います。
他者をどう見ているのか、どう考えているかは、態度や行動に現れ、社会に反映されていくようです。人を自分の考えのもとで判断することというのは、愛情がなかったり、勘違いの愛、理解していると思い込んでしまうものが含まれているように感じます。
私も、そうやって人様を区別してきた一人です。自分の置かれた場所から、そうやって差別的に考えてきた一面があることを自覚しています。
そういう穴に落ちないように、物事を広く考える努力は怠らないようにしないといけません。
記事を読んでいると、手術するようにと圧力がかかる中、必死で本人の立場に立って反対されたご家族もいらっしゃったということです。時折書かれるそのような文面を見ると、そういう人たちが確実にいたということがわかり、少しだけ心が和らぎます。もちろん被害を受けたのは変わりないことですから、どんなにつらかっただろうと思います。
一人でも多くの人が、他者がその人らしく生きることを考え、自分の事のように思いやれる心持ちを維持してくださったらと思います。
私も、私の周りにいてくれる人たちを悲しませないように、多くを考えて生きられたらと思うのです。
毎日新聞は連日、裁判のことや、実際に被害に遭われた事実などを書いてくれていて、本当にあったんだということを教えてくれています。
熟読はできていなくて、レポートのように書けないけれど、このブログでも少し触れてみたいと思いました。
1948年にできたこの法律の下で行政が、障害を持った人の不妊手術を、その家族も巻き込んで積極的に進めていた事実が相当あったことを知ると、それを免れた私は運が良く、周りに恵まれていたと思わざるを得なくなります。
新聞によると、北海道や宮城などでは、不妊手術を断った家族を説得したとあるそうです。
在日している外国の方も対象になり、手術をさせられた事実があるそうです。
また、最近の記事では、家が貧しいなどの理由で、明らかに障害がないと思われる人も施設に入っていたようで、その人たちも不妊手術をさせられたということが書いてありました。
優生保護法は、遺伝性だと思われる疾患を不良なものとし、不良な子孫を残さないためにという目的で、その疾患に当てはまる人は本人の承諾なしで不妊手術ができる、と定めたものでした。
もともと刑法の堕胎罪がある日本では、この優生保護法の経済条項がないと、女性が自分の意思で中絶できないという問題があります。刑罰が適用されてしまうからです。
今は優生保護法は母体保護法に変わり、不良な子孫を残さぬための…という言葉は無くなりました。
遺伝と思われた疾患名を羅列していた別表も無くなりました。
ハンセン氏病は、遺伝性ではないのにもかかわらず、この優生保護法にかかれ、多くの人たちが不妊手術をさせられたと伺っています。
被害を受けた方々が訴訟を起こし、多くのことが今明るみになろうとしています。
私も15歳の時、ほんのひとことではありましたが、人から、子宮をとれば、と言われたことがありました。二度と言わないで、と私はその場で言えましたが、新聞を読めば読むほど、圧力を受けながらたくさんの人たちが手術をさせられたことを知ります。
私は一言だけ、一回だけでしたが、今でも心に残り続けています。
多くの人に支えてもらう生活を続けていると、時折何もなくても、この生き方で生きていいのかと、深い穴の中に入ってしまうことがあります。そういう時は、どのような人でも支え合って生きているのだから自分も人と変わらない、ということを自分でも忘れてしまったりします。自分自身を大事にすることも、人間として必要なことということを忘れてしまったりするのです。
きっと、自分の体を使って自分のことをできる人たちも、私が陥るような自分だけの視点の穴を、たくさん持っているのは変わらないことなのでしょう。ものを見ていないと、その穴は罠のようにやってくるように思います。
他者をどう見ているのか、どう考えているかは、態度や行動に現れ、社会に反映されていくようです。人を自分の考えのもとで判断することというのは、愛情がなかったり、勘違いの愛、理解していると思い込んでしまうものが含まれているように感じます。
私も、そうやって人様を区別してきた一人です。自分の置かれた場所から、そうやって差別的に考えてきた一面があることを自覚しています。
そういう穴に落ちないように、物事を広く考える努力は怠らないようにしないといけません。
記事を読んでいると、手術するようにと圧力がかかる中、必死で本人の立場に立って反対されたご家族もいらっしゃったということです。時折書かれるそのような文面を見ると、そういう人たちが確実にいたということがわかり、少しだけ心が和らぎます。もちろん被害を受けたのは変わりないことですから、どんなにつらかっただろうと思います。
一人でも多くの人が、他者がその人らしく生きることを考え、自分の事のように思いやれる心持ちを維持してくださったらと思います。
私も、私の周りにいてくれる人たちを悲しませないように、多くを考えて生きられたらと思うのです。
2018年4月26日木曜日
車椅子が壊れてから直るまで考えたこと
私の電動車椅子は、年に一度、タイヤとバッテリーを交換します。
前輪も後輪も、一年で溝がなくなって、危険になるのです。
今乗っている、愛車になってまだ一年のカレも例外ではありませんでした。今まで乗った中で消耗が激しい方で、勾配のきつい坂は前輪が滑るようになってしまい、さすがに危なくてメンテナンスしてもらいました。
綺麗になったばかりのカレ、なぜか、すぐに壊れました。
電動のブレーキが効かなくなったのでした。それも突然。
家の近くだったことが幸いでしたが、電動車椅子が手動のように、簡単に押せるようになってしまったのです。
何があってもなんとかなる、という根拠のない自信は、こういうことがあると打ち砕かれます。
電気が通らなくなって、ブレーキも効かなくなった電動車椅子は、ただの重たい車椅子でしかなくなりました。
幸いなことに介助の方がいてくれて、玄関に入れてくださったので、ことなきを得ました。
普段、まるで自分で動いているかのように、電動であちこち行けているけれど、電気が通じなくなると本当に自分では何もできなかったということを思い知ります。
車の運転の時も、バイクも自転車も、故障するとこんな感じなのかしら。
少し違うかな。自分の足で歩けるということは。
自分の足で歩くということは、大きなことなのかも知れません。意識的にも、無意識だとしても、目的地まで体一つで行けてしまうのだから。
できないということは、たとえ機械や何かを使ってできるようになっているとしても、100パーセント自分でできるようになったということではないと、どこかで忘れないようにして生きることが必要かな、と思いました。
もちろん、器具等を問題なく使って、できなくなったことをできるように努力をして生きている方ははたくさんいらっしゃると思いますが。
できないからやらない、ということではなくて、できない状況をできるように変えて、生きていくことができているということです(ややこしい)
そこを感謝したいなって。
車椅子のブレーキは、数日後、いつもお世話になっている車いすやさんが、その日のうちに直してくれました。
小さな部品が一つはずれたそうです、
すぐに直って良かったな。ほんとうに。
2018年4月16日月曜日
個人授業
先週、ふと気づいたことがありました。お芝居を観に行く前に、池袋をうろうろしていた時のこと。
一緒に歩いていた方とお話をしていた時に、会話の中で
「その人に起こることは、その人にしか起きないのよ」
という言葉があって。
確かに。
友人のHさんに起きていることは、私には起こらない。
甥っ子に起きていることも、妹に起きていることも、私には起こらない。
世の中に起こることは、とても不平等で、いつも不公平。
似たようなことは起こっているように思うけれど、似たような経験はたくさんあるかも知れないけれど、よくよく考えれば、シチュエーションはそれぞれ違うから、同じような経験でも、まるっきり同じではないのです。
同じ場所にいて、同時に一つのことを体験したとしても、まるっきり同じではありません。
つまり、世界中の人たちが、ひとりひとり全く違う人生を歩き、違う感性から、違う経験をしているということです。
そうだったんですね。だから、個人授業なんです、人生は。
私の身に起こることは、私にしか起こらないこと。
私は障害を持っていて、子供も作らなくて、福祉制度の中で生きていて、叶わないものもたくさんあり、恵まれた部分もたくさんあります。
そして今回どうしても知らなくてはいけないこともありました。
この人生で、感じなければいけないことがたくさんありました。
この人生で私の身に起きたことは、妹には起きないし、友人にも起こることはありません。
私だから起こった、私だけのものです。
私の経験値、私の人生観、私の価値観は、今日までの積み重ねでできたものであって、必要なもの、乗り越える必要があること、理解するためのこと、蒔いた種の結果しかやってこない。
だから、その時その時を、大事に生きることが必須なのですね。サボってはいけないのです。
サボったとしても、その穴埋めのような出来事がやって来ます。
そのときその時を、またとない機会として大切に、自分らしく生きることが、本当に役目なんです。
自分らしく、ということはとても大事。
セオリーを知っていて、マニュアルのようにそれをこなしても、考えて納得していなければ、何も残らないのです。
何も残っていないと、同じような出来事が、手を替え品を替え、次々にやって来ます。
だから考えて、自分の愛情を混ぜて行動して、味わうこと。それが経験となります。
うまくできなかったと思っても、次に同じようなことが起きた時、自分が少し変わったことに気がつくかもしれません。
人生は個人レッスン。その意味がようやく理解できたように思いました。
一緒に歩いていた方とお話をしていた時に、会話の中で
「その人に起こることは、その人にしか起きないのよ」
という言葉があって。
確かに。
友人のHさんに起きていることは、私には起こらない。
甥っ子に起きていることも、妹に起きていることも、私には起こらない。
世の中に起こることは、とても不平等で、いつも不公平。
似たようなことは起こっているように思うけれど、似たような経験はたくさんあるかも知れないけれど、よくよく考えれば、シチュエーションはそれぞれ違うから、同じような経験でも、まるっきり同じではないのです。
同じ場所にいて、同時に一つのことを体験したとしても、まるっきり同じではありません。
つまり、世界中の人たちが、ひとりひとり全く違う人生を歩き、違う感性から、違う経験をしているということです。
そうだったんですね。だから、個人授業なんです、人生は。
私の身に起こることは、私にしか起こらないこと。
私は障害を持っていて、子供も作らなくて、福祉制度の中で生きていて、叶わないものもたくさんあり、恵まれた部分もたくさんあります。
そして今回どうしても知らなくてはいけないこともありました。
この人生で、感じなければいけないことがたくさんありました。
この人生で私の身に起きたことは、妹には起きないし、友人にも起こることはありません。
私だから起こった、私だけのものです。
私の経験値、私の人生観、私の価値観は、今日までの積み重ねでできたものであって、必要なもの、乗り越える必要があること、理解するためのこと、蒔いた種の結果しかやってこない。
だから、その時その時を、大事に生きることが必須なのですね。サボってはいけないのです。
サボったとしても、その穴埋めのような出来事がやって来ます。
そのときその時を、またとない機会として大切に、自分らしく生きることが、本当に役目なんです。
自分らしく、ということはとても大事。
セオリーを知っていて、マニュアルのようにそれをこなしても、考えて納得していなければ、何も残らないのです。
何も残っていないと、同じような出来事が、手を替え品を替え、次々にやって来ます。
だから考えて、自分の愛情を混ぜて行動して、味わうこと。それが経験となります。
うまくできなかったと思っても、次に同じようなことが起きた時、自分が少し変わったことに気がつくかもしれません。
人生は個人レッスン。その意味がようやく理解できたように思いました。
2018年4月13日金曜日
ストーリー・セラー
池袋シアターグリーンで、ストーリーセラーという舞台を観て来ました。
泣けました。書くという立場から見たからなのか、役者さんたちに圧倒されたのか、泣きっぱなしの一時間半でした。
私の胸に残ったのは、なんだったのでしょう。何がそんなにも、感情を揺さぶったのでしょう。
書くということは、今の自分をさらけ出すことだし、書ききれないということは、まだ向き合えていないということ。舞台のヒロインは、自分をさらけ出せて表現し、作家になったけれど、書く人というそのあり方が、もしかしたら自分の何かに触れたのかも知れません。
そして、愛されること、愛することもとても素直に観ることができました。
観て良かったなあと思います。
舞台挨拶も、この作品に対する熱意が伝わって来て本当に良かったです。
有川浩さんの原作、読んでみようと思います。
今日は盛りだくさんの1日でした。そのお話はまた後日に書きますね。
15日までの舞台です。ご興味のある方は是非。
泣けました。書くという立場から見たからなのか、役者さんたちに圧倒されたのか、泣きっぱなしの一時間半でした。
私の胸に残ったのは、なんだったのでしょう。何がそんなにも、感情を揺さぶったのでしょう。
書くということは、今の自分をさらけ出すことだし、書ききれないということは、まだ向き合えていないということ。舞台のヒロインは、自分をさらけ出せて表現し、作家になったけれど、書く人というそのあり方が、もしかしたら自分の何かに触れたのかも知れません。
そして、愛されること、愛することもとても素直に観ることができました。
観て良かったなあと思います。
舞台挨拶も、この作品に対する熱意が伝わって来て本当に良かったです。
有川浩さんの原作、読んでみようと思います。
今日は盛りだくさんの1日でした。そのお話はまた後日に書きますね。
15日までの舞台です。ご興味のある方は是非。
2018年4月7日土曜日
2018年4月4日水曜日
今朝の夢
明け方に、「最近サボっているねぇ」と指摘された夢を見ました。
サボっていることを考えたら、エネルギーを扱うことかなと、思いました…
言い訳をするなら、時間の使い方が下手で…いつの間にかいつも寝てしまって…
1日があっという間で…というか、遊び人のはずなのに汗
天の声は的確です。時間配分考えます。
サボっていることを考えたら、エネルギーを扱うことかなと、思いました…
言い訳をするなら、時間の使い方が下手で…いつの間にかいつも寝てしまって…
1日があっという間で…というか、遊び人のはずなのに汗
天の声は的確です。時間配分考えます。
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