2016年7月24日日曜日

ご無沙汰しました。

半年ほど、ここに記さずに時を過ごしました。

文章を書かなくなったのは、小学生の時に書き始めて以来のことです。
なんだか、自分のあらわすことが勝手な思いばかりのように感じてしまって、それではいけないような気がして、そう思っていたら筆がとまりました。

本の感想だけは、ツイッターに書いていたのですが。


この間、自分だけの日記は書いていました。
自分だけが読める日記は、まるで覚書のようで、後で読み返すのはしんどくなるようなものでした。
電子メモで書いていたせいもあるとは思いますが。

書かなくなって、最近、表現力がものすごく落ちてきたように感じています。
言葉を一層使えなくなったというか、しゃべれなくなったというか。
できなくなったことを思うと、もしかしたら、文章というのは私にとって、言葉を意識するための道具なのかもしれません。それに過ぎないものだけれど、書くということは続けていく必要があるものかもしれません。
本当に思い込みかもしれないけれども。

若い時は、この文章で生活したいと思っていたこともあったけれど(若気の至り、傲慢だったのですね)、
実はそんなことを考える以前に、自分には言葉を使いこなしていく訓練が必要だったのかもしれない、そのために日々文章を書いていく必要があったのかもしれない、
ただそのためだけのものだったのかもしれない、
そんなことを、今日思いました。

本当に最近、表現できなくなってしまって(前からかもしれませんが)。

自分だけの日記がその効果を持たないのは、客観性を欠くからかもしれません。
このようなブログは誰の目に止まるかわからないし、あまりにも意味不明なことは書けませんから。

言葉を使いこなす練習のために文章を書く。
こんな意味が、書くという行動にあるなんて、思いもしませんでした。
書いたから表現力が付くかどうかは、なんとも言えませんが。

とはいえ、再開早々こうして自分のことしか書けないので、このようなブログでいいのかどうか。結論は出ません。でもええかっこしいもできないし。
書けるところから、再開しようと思います。
気づきをいただいたことに、感謝いたします。


気がついたら冬も春も梅雨も過ぎて、一年の半分をとうに過ぎました。
長いお休みで、失礼いたしました。

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久しぶりに夢を見ました。あまりきれいな夢ではなくて、あしからず。 出かけ先で、トイレに行きたくなったので、電気屋さんのようなイベント会場のような建物に入りました。中はとても広くて活気がありました。 昔の車椅子用トイレがあったので、使わせてもらおうと思ったら、手すりの位置もめ...